シログチ
食卓には焦げ目の少し付いたイシモチが並べられていた。白くなった目玉は、自分が食材になったことが信じられぬように、宙を睨んでいる。
悦雄はやや曇り顔でイシモチを眺めていた。
「どうしたの? 父さん」
良雄が父親の怪訝な顔を見て尋ねた。
「このイシモチはおそらく網で獲れたものだろう。だったら、あまり美味しくないよ」
「そうなの?」
房子が驚いたような顔で悦雄を見た。
「食べられないことはないが、水っぽくて締まりがない。場合によっては生臭い。イシモチは獲れたら、生き締めにしないと、美味しくないんだ」
「生き締めって?」
良雄が興味深そうに尋ねた。
「エラブタの付け根を切って、血を抜くんだ。他にもサバとか青い魚は生き締めをした方が美味しいんだよ」
「それで売れ残っていたのね」
房子が神妙な顔付きになった。
「いや、馴染みがないんだろうな」
だが、房子の顔は晴れない。鮮魚コーナーの若者の爽やかな笑顔が、したたかなほくそ笑みへと変わっていく。「青い闇の警告」はこうして、本当に警告を発しながら、房子を現在の生活に引き留めたのである。
「どれ」
悦雄が箸をイシモチに伸ばす。銀色の皮を毟り取り、白身と一緒に口へと運んだ。
「どうだい?」
良雄が興味津々の顔付きで、悦雄を覗き込む。
「ふむ。不味くはないが、やっぱり、ちょっと水っぽいな」
「いただきます」
良雄も箸を伸ばす。続いて房子も箸をつけた。
「ちょっと、だらしがない魚ね」
房子が苦笑いをしながら言った。おそらく彼女の脳裏には鮮魚部門の若者の姿が浮かんでいたに違いない。
若者は確かに見た目は良かった。それこそ、甘いマスクに髪を茶色く染め、そのスマートな姿態に房子も一時は、その心がときめいたりもした。しかし、房子にはやはり守るべき家庭が、愛すべき家庭がここにあった。そのことに改めて気付いた時、若者への憧憬は微塵もなく吹き飛んだのだ。
房子がイシモチを「だらしがない」と評したのも、若者への言葉と取るよりも、自分への戒めだったのかもしれない。
「そうでもないぞ。お前も以前に食べたことあるんだぞ。俺が釣ってきたイシモチを」
悦雄が得意そうに言った。
「あら、そうでしたっけ。いつもいろんなお魚を釣ってくるもんだから、忘れちゃったわ」
「わはははは!」
三人が大笑いをした。