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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ヴァーミリオン-朱-

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 呪架の手から放たれる闇色の妖糸。受け止めた金属の扇を腐食させ、一瞬にして赤茶色へと変色させてしまった。
 女は扇が完全に腐食する前に地面に投げ捨てた。すると、扇は地面の上で粉々に砕け飛んでしまった。
「余興にしてはおもしろい。じゃが、技の磨きが足りぬ」
 夜風が吹いた。
 呪架はまた女を見失った。
 耳を済ませても足音は聴こえない。
 夜風の吹く音がする。
 耳をくすぐる冷たい吐息を吹きかけられ、そのとき初めて呪架は女が自分の真横にいることに気づいた。
 神速で呪架は妖糸を振るった。次から次へと闇雲に妖糸を振るい、闇色が放射状に広がる。
 残像を残しながらその場に突如現れた女は、夜月のような笑みを顔に浮かべていた。
「妾があと一刹那、亜音速に入るのが遅ければ、この腕も腐ってしもうていた」
 ナイトドレスの袖が片方だけ破り取られていた。破られた布片は地面の上で腐食している。妖糸で斬られた腐食が全身に達する前に、女が自ら袖を破り取ったのだ。
 初めて攻撃を当てることができ、呪架はこの勝負に勝機を見出した。
 次の攻撃を仕掛けようと呪架が右手を振り上げようとする。だが、腕が上がらない。それだけではない。全身がなにかに固定されてしまったように動かない。
 唯一動く首を廻し、呪架は辺りを見回した。
 自分の影に刺さっている数本の短剣を見て呪架は眉を顰める。
 動けぬ呪架に優雅な足取りで近づいて来る女。
「影縫いじゃ。影を固定し、本体の動きを封じる技」
 短剣の刺さっている位置は、影の四肢や関節を固定していた。
 動くことのできる首から上を大きく揺らして呪架が咆える。
「俺を殺せるチャンスがあるのになぜ殺さない!」
 幾度となく女には呪架を殺せるチャンスがあったのに、弄ばれてしまっている。
 呪架は自分の技がまだまだだと自覚していた。けれど、それは?向こう側?でのこと。
 ?向こう側?では微生物にも劣る力しかなかったが、?こちら側?ではそれなりの自信を保持していた。
 にも関わらず、この様だ。
 女は慈しむように呪架の頬にそっと指先を伸ばした。
 その指を呪架は噛み切ろうとしたが、頬を叩かれ失敗に終わった。
「まだ妾に逆らう気かえ?」
「俺は誰にも従わない」
「うふふふふ、汝の威勢には感服する。技も認めてやろう。じゃがな、蘭魔に比べれば月とすっぽんじゃ」
 その名を聴いて呪架は眼を大きく開いた。顔も見たこともない祖父の名前を女は口にしたのだ。
「お前、何者だ!」
 呪架は目の前の女を初めて目にしたときから、なにか感じるものがあった。
「妾の話を蘭魔から聞かされておらぬのかえ?」
「会ったこともない奴から話なんか訊けるか」
「会ったこともないとな? 汝は蘭魔の嫡子ではないのかえ?」
「蘭魔は俺の祖父の名前だ」
 この発言を訊いて女は破顔した。
「うふふ、そうか、彼奴の孫か……人間の時は流れるのが早いのお」
「だからお前は何者なんだ!」
「妖魔の姫、名はセーフィエルと申す。汝の曾祖母じゃ」
 叛逆の罪により銀河追放をされ、〈箒星〉に乗って地球に帰還した者の名。
 呪架とセーフィエルが邂逅した。

《4》

 敵意の消えたセーフィエルを呪架は屋敷に通した。訊きたいことが山のようにあるからだ。殺してしまっては口が聞けなくなる。
「初めから殺す気など毛頭あるはずがなかろう。汝の力量を知らんがためじゃ」
 と、セーフィエルは語った。
 客人など通したことのない応接室は埃が積もっており、とても客人を迎えられる状態ではなかったが、部屋に入ったセーフィエルが吐息を吐くと、部屋中の埃は窓の外へ飛ばされてしまった。
 長い足を組んでソファに座るセーフィエルの向かいには、呪架が注意を払いながらソファに腰掛けている。
「なんの目的で俺に会いに来た?」
 尋ねる呪架の瞳の奥を見据えながらセーフィエルは答える。
「こちらの方角から妾の血を感じた。汝じゃ」
「曾孫の顔を見に来ただけかよ?」
「曾孫……ひとつ気になることがあるのじゃが、確かめても良いかえ?」
「なんだ?」
「じっとしておれ」
 ローテーブルを乗り越えてセーフィエルの顔が呪架の唇に近づく。
 間近に迫ったセーフィエルの顔は、呪架の顔に触れることなく迂回した。
 なんとセーフィエルは呪架の首元に歯を立てたのだ。
 首に当たる柔らかい唇と、肌に突き刺さる硬く鋭い歯の感触。痛みは虫に刺された程度だった。
 呪架の首から口を離したセーフィエルは血の付いた唇を艶めかしく舐めた。男ならば唾を呑み込んでしまう仕草だ。
 相手の行動に噛み付くことなく呪架はセーフィエルの言葉を待つ。
 眼を深く閉じているセーフィエルの顔は、賢人が宇宙の真理を紐解く瞬間に見えた。
「やはり……妾が感じていたのはこれじゃったか」
 独り言を呟いたセーフィエルに呪架が問う。
「なにがだ?」
「汝は妾の曾孫であり孫じゃ」
「はっ?」
 思わず素で呪架は口から言葉を漏らした。
 なぜ呪架の祖母であり曾祖母であるのか、呪架には理解ができなかった。
「汝はなにも聞かされておらぬのか?」
「なんだよ、知らねぇよ」
「祖父母の蘭魔とシオンの話を聞いたことがないかえ?」
「つい先日に名前を知ったばっかりだよ」
 この屋敷に残っていた資料からその名前を知った。蘭魔もおそらく傀儡士であったと思われ、シオンは愁斗の母であるということぐらいしか呪架には情報がなかった。
 セーフィエルは宙を仰いだ。その瞳は愁いを帯びている。
「シオンもエリスも妾の子じゃ」
 祖母と名乗り、曾祖母と名乗り、姉妹の母と名乗ったセーフィエル。その容貌は二十代後半にしか見えない。魔性の若さと美貌を持っているのだ。
 セーフィエルの言葉を信じるのならば、呪架の父である愁斗はセーフィエルの子供であるシオンの子供であり、愁斗はのちに同じくセーフィエルの子供であるエリスとの間に呪架をもうけたことになる。
「近親相姦か……」
 呟く呪架にセーフィエルは軽く答える。
「妾の一族では優良な種を残す為のごく当たり前の行為じゃ。下等な人間とは遺伝子の根本が異なる故、問題はなにも生じぬ」
 これを聞いた呪架は急に笑い出した。
「はははっ、やっぱりな……お母さんは人間じゃなかったのか。なにか違うと小さい頃から思ってたんだ」
 呪架はセーフィエルをひと目見たときから人間ではないと感じていた。セーフィエルが人間ではないのなら、その子供のシオンとエリスも人間ではない。つまり、呪架も純粋な人間ではないことになる。
 ここで呪架は疑問を投げかけた。
「祖父は人間だったのか?」
「人間じゃった。のちに魔人となったがな」
 祖父が人間だったならば、呪架の躰に流れている血の3分の1だけが人間の血だ。
 残りの3分の2は何の血が流れているのか?
「人間じゃないお前は何者だ?」
「くだらぬ愚問じゃ。獅子が獅子であり、鼠が鼠であると同じこと。人間とは別の存在――便宜上、妖魔といふ言い方が良いじゃろう」
 セーフィエルの黒瞳は呪架の瞳の奥から、なにかを読み取った。
「エリスの話を聞きたくないかえ?」
「俺の知らないお母さんの話か?」
「さて、それは知らぬが、重要な話じゃ」
「訊かせろ」