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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ヴァーミリオン-朱-

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 結果として、当時の呪架には〈闇〉を操る技量がなく、〈闇〉に捕らえられて?向こう側?へと連れ去れられてしまったのだ。
 力の至らなかった自分を呪架は悔やんだ。
 ?向こう側?での生活は?こちら側?の常識を逸脱し、呪架は死に物狂いで生き延びた。そのことによって、呪架の闇の傀儡士としての技は、身を守る術として自然と修練された。
 そして、呪架はついに傀儡士としての業で、空間を断ち割って?こちら側?に還って来たのだ。
 ?向こう側?で過した時間は推定五年ほどと考えていたが、どうやら?こちら側?とは時間の流れが違うらしく、?向こう側?に連れ去られてから約一〇年もの月日が流れていた。
 ?こちら側?に戻って来た呪架のすべきことは、母を殺し、自分の運命を奈落に突き堕とした者への復讐。今の呪架にはそれを成し遂げる力があると自負していた。
 そして、母の黄泉返りという新たな目的もできた。
 さっそく呪架は傀儡づくりを学ぼうとしたが、作業は思うようにはかどらなかった。できないことへの焦りが募る。幼い頃の栄光が今も心に染み付き、できないことが恥に思えるのだ。
 材料のほとんどは屋敷の中に残されていたが、傀儡づくりは呪架にとってゼロからの作業である。
 生まれたときから離れ離れだった父が、実力のある傀儡士だったと母に聴いたことはあった。けれど、会ったこともなければ、当然傀儡士としての技を教えてももらったわけでもない。
 呪架の技はすべて死の淵で自ら編み出した業。
 傀儡つくりを教えてくれる者は誰もいない。
 手元に残された資料だけが頼りだが、本物の傀儡すら見たことのない呪架には頼りにならない資料だ。
 傀儡づくりは失敗の連続であり、日を増すごとに呪架は自暴自棄になっていき、屋敷にあった割れ物などに当り散らした。それでも呪架が傀儡つくりを諦めなかったのは執念。?向こう側?での地獄の日々から考えれば他愛もないこと。
 復讐心と母への愛だけが呪架を支えた。
 希望の光の代わりに灯るのは朱色の炎だった。

《3》

 数日のときが経ち、屋敷での生活も慣れてきた。
 傀儡づくりは依然として上手くいかず、呪架は憂さ晴らしも兼ねて屋敷を出た。
 陽はまだ頂点まで昇っていないが、燦然と輝く光が眼には眩しい。
 見通しの悪い森の中に足を踏み入れた呪架は耳を澄ます。
 風に揺れる木の葉のざわめき。
 小鳥のさえずり。
 動物の足音。
 呪架の手が素早く動き、輝線が指先から放たれた。
 傀儡士の技のひとつ。氣を練ることにより、細い妖(よう)糸(し)を作り出す業。
 呪架の放った妖糸は小動物の後ろ足に巻きついていた。
 捕らえられたのは兎だ。
 兎は逃げようと暴れまわるが、巻き付いた妖糸は取れず、呪架は素早く妖糸を手繰り寄せた。
 呪架は近くまで手繰り寄せた兎の首根っこを鷲掴みにして、機械的な手並みで兎の首に妖糸を巻きつけ、一気に締め上げた。
 屠られた兎は鳴き声をあげる間もなく絶命した。
 今晩の食料を手に入れたが、呪架の憂さは晴れなかった。?こちら側?の狩りは張り合いもなく、死が隣り合わせでもない。呪架は物足りなさを感じた。
「クソッ!」
 呪架の手から放たれた妖糸が木を薙ぎ倒し、倒れた木の轟音を聴いて鳥たちが一斉に空に舞い上がった。
 狩った兎を持ち帰ろうと呪架が屋敷の前まで来ると、急に肌寒さを感じて辺りを見回した。
 昼間にも関わらず夜風が背中を撫でた。
 呪架は兎を投げ捨てて身構えた。
 久しぶりに感じる心地よいプレッシャー。
「誰だ!」
 辺りを見回す呪架の耳に、静かな女性の含み笑いが風に乗って届いた。
「うふふふ……血の気の多い小僧じゃ」
 玲瓏な声は呪架の真後ろからした。
 すぐに呪架は腕を後ろに振ったが手ごたえはない。空を切った。
「ここじゃ」
 声はまた呪架の後ろからした。
 振り返り、蒼白い女性の顔が眼と鼻の先にあると視認した刹那、呪架の躰は見えない力によって後方に吹き飛ばされた。
 躰をくの字に曲げながら呪架は地面に足を付き、足捌きで耐えようとしたが止まれず、思わず片手を地面に付けてどうにか躰を止めた。
 そのままの姿勢で呪架は顔を上げ、猛獣のような鋭い眼つきで相手の顔を睨みつけた。
「誰だお前!」
「汝(なれ)に名乗る名などない」
 黒いナイトドレスに身を包み、妖々しくスレンダーなボディーから伸びる脚線美。ドレスは質素で、アクセサリーはイヤリングだけだが、着飾らなくとも躰の形そのものが芸術の域に達していた。そして、鼻梁の下では蒼白い肌に紅い唇が浮かび、この世のものとは思えない艶笑を浮かべていた。
 初めてあったこの人物に、なぜか呪架は親しみと畏怖を覚えた。
 直感的に呪架は感じたのだ。この女性の美しさは魔性のものであり、母の醸し出す雰囲気にどことなく似ていると――。
 夜の風を纏った女がそっと吐息を漏らした。吐息は凍える吹雪となって呪架を呑み込もうとする。
 殺意を持った相手の攻撃に呪架はすぐさま戦闘態勢を整え、吹雪を躱すと妖糸を女の首目掛けて放った。
 輝線が宙を翔け、迷いのない直線で女の眼前まで迫っていた。
 しかし、妖糸はその先端から凍りつき、空中で粉々に砕け散ってしまったのだ。
 氷の結晶が宙を舞い、その先で女は艶然と佇んでいた。
「汝の実力はその程度のものかえ?」
 その言葉は呪架のプライドに火を点けた。
「てめぇなんか八つ裂きにしてやる!」
「その意気じゃ」
 余裕を含んだ相手の声に呪架のやる気は増した。
 左手から妖糸を放ち、すかさず右手からも妖糸を放つ。
 業の切れが良い右手の妖糸が先に放った左手の妖糸に追いつき、二本の妖糸が同時に女を切り裂こうとする。
 女は左右から同時に迫る妖糸を一刹那で薙ぎ払った。疾風に迫る妖糸をそれよりも早い動きで防いだのだ。
 金属の扇を構える女は優雅に舞う。
「うふふふ、妾に速さの概念は通じぬ」
「どうやって防いだ?」
 呪架の眼には女が立ち尽くしているだけに映った。それなのに妖糸は確かに弾かれたのだ。
「亜音速で動いただけのことじゃ」
「不可能だ!」
 物体は運動スピードを上げれば上げるほど質量が増える。つまり、亜音速で運動をすれば、躰は重さに耐えられずに崩壊する。はずだった。
「嘘だと思うのならば試してみるかえ?」
 と、女は言い残し、その場から消えたかと思うと、呪架の眼前に立っているではないか!?
 呪架は目の前にいる女の顔を殴ろうとしたが、拳は宙を空振り、躰のバランスを大きく崩された。
 崩したバランスに追い討ちをかけて殴られ、呪架はその反動で地面に伏した。
 腕立て伏せの体勢からすぐに立ち上がった呪架の首元に突きつけられる扇。
 開かれた扇の先端は研ぎ澄まされ、鋭い凶器になっていた。
 扇と喉頸までの距離は一ミリもない。
 死を前にしても呪架の瞳は猛獣のようにギラついていた。
 それに比べて女の瞳は静観している。
 女の躰に残像を見た刹那、呪架は扇の腹で頬を叩かれていた。
 世界が揺れる感覚を覚えながら呪架は両膝に手をつく。
 呪架は口から唾のように血を地面に吐き飛ばし、唇を舌で舐め回した。
「クソババァッ!」