ヴァーミリオン-朱-
その静寂を壊す呪架の叫び。
「なんで!」
ダーク・シャドウの傍らにいる少女の姿を見てしまった。
傀儡エリスの姿がそこにはあったのだ。
ダーク・シャドウに腕を掴まれ、必死になって逃げようとしているエリス。
「離して、離して!」
嫌がるエリスを助けようと呪架が駆け寄ろうとしたが、それは呪架の躰を掠めたダーク・シャドウの妖糸に制止させられた。
「おまえの戦うべき相手は私ではない」
無機質な仮面が向いた先にいるのは慧夢だった。
「他人に踊らされてる感じでイヤだな」
そう言いながらも慧夢はストレッチで躰を解していた。
この世界に連れて来られたときに、呪架と慧夢を拘束していた妖糸は解かれていた。
二人のために与えられた戦いの舞台。
誰にも邪魔をされない死闘。それはどちらか一方の死を持って終結する。
ダーク・シャドウは白い仮面を投げ捨てた。
「この戦いは素顔で見守る義務がある」
仮面の下から現れた険しい麗人の顔を見て慧夢は微笑んだ。
「やっぱりネ、生きてたんだ……父さん」
その言葉を聞いた呪架の脳に電撃が走った。
呪架は悟ってしまった。肉体は死んでいた。父――愁斗は自分と同じ傀儡に身を堕としていたのだ。
はじめて見る父の顔に呪架は複雑な想いを交差させた。
母と自分を残して消えた父。悲しみなのか、憎しみなのか、呪架は自分の感情がわからなかった。
ただ――なぜこんなことをするのか、わからなかった。
「……お父さん……わからないことが多すぎる……なんでわたしたちを置いて、お兄ちゃんを連れて姿を消したのか……」
「生まれる前から、おまえたち双子は呪われていた」
沈痛な面持ちで愁斗は声を絞り出した。
呪架はエリスからなにも聞かされていなかった。もしかしたら、エリスも知らなかったのかもしれない。
愁斗に育てられた慧夢もなにも聞かされず、ただ傀儡士としての技を叩き込まれた。
生まれる前から呪われていたとはいったい?
愁斗が淡々と語りはじめる。
「元凶は僕の父にあるが、新たな呪いを君たちに背負わせたのは僕の罪だ。生まれてくる双子は殺し合う運命にあると予言されていたんだ」
ではなぜという疑問を呪架がぶつける。
「俺たちをこんな場所に連れて来たのはなんでだ、俺らを戦わせるためだろ!」
「僕が運命に抵抗しなかったと思うのかい。君たち二人は傀儡士になると予言されていた。二人ともに技を教えないこともできたが、傀儡士しての業を後世に残す必用もあった。だから敢て僕は慧夢にしか技を教えなかった。なのに君は覚醒たんだ傀儡士として……」
それが生まれたばかりの双子が引き離された原因だった。
運命はさらに悲劇へと向かった。
「慧夢は帝都の手に堕ち、紫苑は帝都に牙を剥き、二人は争う結果となった。僕は運命に逆らうことを諦めた。これは僕に与えられた罰でもあるんだ、愛した人を裏切った代償」
そう語って愁斗は視線を落とした。
今からでも二人の戦いを止めることはできるはずだ。なのに愁斗は疲れ果てた老人のように動こうとしなかった。彼は心底から運命を変えることは不可能だと痛感しているのだ。
慧夢はすでに運命を受け入れていた。
「ボクは今の状況を楽しんでるからいいよ。強い者と戦えるなんて感じちゃうだろ。つい最近まで顔も知らなかった妹に思い入れなんてないからね」
しかし、呪架はここに来て心が揺れていた。
慧夢を血の繋がった双子だと意識しはじめてしまっていたのだ。
この場所には皮肉にも家族が揃ってしまっている。
幼い心に返ってしまったエリスの前で、血で血を洗う争いをできるのか。
エリスは静かに愁斗の腕に抱きついている。記憶を失い幼子になっていたとしても、なにかを感じているのかもしれない。とても哀しそうな瞳をしているのだ。
呪架は構えた。
ここで戦わなければ生きる意味を失う。けれど、戦いの果てにも生きる意味が残っているのか、それは呪架にもわからなかった。
惑う呪架の頬を慧夢の妖糸が掠めた。
「今のが戦いの合図だよ。ボクを楽しませてくれることを期待してるからねっ?」
「望むところだ!」
――本当に自分は戦いを望んでいるのか?
エリスの黄泉返りが失敗に終わったのは慧夢のせいだ。それによって呪架は激情と怨嗟に駆られた。
今は……呪架は慧夢に渾身の一撃を放つ。
一本の妖糸に全神経を注ぎ放った一撃を慧夢は軽々と躱した。
「殺しの一手は遊びの中に混ぜて使うものだよ」
慧夢の放った妖糸が呪架の足元を掠め、飛び上がった呪架に二本目の妖糸が襲い掛る。
空中では自由に体勢を動かすことができず、呪架は妖糸を放って迫り来る妖糸を相殺した。だが、二本目の妖糸は囮だったのだ。
六本の妖糸が同時に呪架に襲い掛かり、二本目を防ぐために使われた手は次の動きに入れず、残った手から三本の妖糸を放つことしかできない。
三本の妖糸が呪架の躰を切り裂いた。
腕と胸を軽く薙がれ錆色の液体が滲み出した。香りも血とよく似ているが、おそらくまがい物だろう。ヒリヒリするような痛みも感じた。ただの傀儡ではないと呪架は己を感じた。
呪架の製作者は真物の人間を創造するつもりで傀儡を創ったのだ。想いがこもっていなければ、こんな精巧な傀儡はつくれまい。
視線だけを動かし呪架は愁斗の顔を見た。翳る顔から表情を読み取ることはできなかった。
風が飄々と鳴り黒土の腐臭が舞い上がった。
土を踏みしめながら呪架が疾走する。
呪架の猛撃が開始された。
輝線が煌きを迸らせ連撃が繰り出され宙を奔る。
相手の妖糸を注視して慧夢も神速で技の応酬をする。
熾烈な死闘の中で慧夢の首筋が微かな血の筋を滲ませる。
呪架の赤黒いローブが徐々に刻まれていく。
刹那でも集中力を切らせれば、妖糸は死神の鎌と化して首を刎ねる。
濃密な鬼気が噎せ返るほどに充満していた。常人がこの場に居合わせれば失神しかねないほどだ。
慧夢の額から零れ落ちた汗が煌くと共に妖糸によって切断された。妖糸に切られ四散した汗が再び妖糸によって切られる。紙一重の攻防が繰り広げられているのだ。
魔鳥のように舞った呪架が地面に着地したとき、その足がぬかるんだ黒土に攫われてしまった。
眼を剥きながら躰のバランスを崩した呪架に、容赦ない妖糸の嵐が吹き付ける。
「ぐッ!」
歯を食いしばった呪架の左腕が回転しながら宙を舞う。
切断された痕から大量の紅い液体が爆発したように噴出し、黒土を赤黒く染めて泥濘を形成した。
すぐさま噴出す液体が止まったのは傀儡としての仕様だろう。
本物の肉体が受けた傷ではないのに、酷い痛みに呪架は襲われていた。戦いにおいて傀儡が痛みを感じるなど非合理的である。なのに敢て痛みが残されていた。
腕を切られた呪架を見る慧夢の眼差し優越感を湛えていた。
「もちろんまだヤるよね?」
「おまえが死ぬまでなッ!」
怯むことない呪架の闘志は紅蓮に燃えていた。
「そうでなくちゃ」
艶やかに笑う慧夢の表情がとても残酷に映る。
慧夢が三本の妖糸を放ち、呪架も残った腕から三本の妖糸を放つ。これで互いの攻撃は相殺された。
しかし、慧夢には残りの腕がある。
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)