ヴァーミリオン-朱-
突然、慧夢と男の間に割って入った人影。ソファで怯えていたはずの女だった。しかも、なぜか両手を広げて男の妨害をしているではないか?
血迷った行動をする女を男が押し飛ばそうと手を伸ばした。
「邪魔だ!」
男が女を突き飛ばした瞬間、女の首が地面に滑り落ちた。
それを見た男は思わず視線を生首に奪われ、慧夢は額を掌で軽く叩いた。
「あちゃー、死んでるバレたら囮の意味ないじゃん」
すでに女は死んでいたのだ。男に助けを求めて叫んだとき、慧夢との約束を破っていた。だから殺された。
傀儡士の技のひとつ〈操り糸〉だ。
首を失った女の屍体が動き出し、男の躰に覆いかぶさった。
その間に慧夢は背中を向けて部屋の奥へ逃げ込んだ。
慧夢は殺せた相手を敢えて殺さなかった。慧夢はこの追いかけっこを楽しんでいるのだ。
廊下を抜けて慧夢は玄関を飛び出した。追っ手は待ち伏せしていない。
慧夢の躰が不意に傾いた。
大地が唸り声を上げて大きく揺れた。
〈ヨムルンガルド結界〉が暴れているのか?
いや、違う。
アスファルトの地面を吹き飛ばしながら地の底から這い出た頭。リトルリヴァイアサンだ。
長い二本の髭を触覚のように動かし、リトルリヴァイアサンは辺りの様子を窺っている。
巨大な口を蛇のように開けてリトルリヴァイアサンが慧夢に襲い掛かる。
「ボクを殺ろうなんて、あったま悪いねキミ」
慧夢の両手から六本の妖糸が放たれた。だが、斬るのではない。妖糸はリトルリヴァイアサンの躰に巻き付いた。だが、拘束するためでもない。
急に大人しくなったリトルリヴァイアサンの頭部に慧夢は飛び乗った。
「さあ、出発だ!」
慧夢を乗せたリトルリヴァイアサンが地面を這いはじめた。傀儡士としての慧夢が見せた技。リトルリヴァイアサンを自らの乗り物としたのだ。
慧夢を乗せたリトルリヴァイアサンが住宅街を激走する。奇妙な乗り物を乗り回す者が多いマドウ区でも、リヴァイアサンの幼生を乗り回すのは前代未聞だろう。
「全身に感じる風の心地よさ、最高だ!」
上機嫌になりながら慧夢は大空を見上げた。恵みの太陽が少しずつ翳りはじめている。世界が黄昏に染まる時が来ようとしていた。
前方に視線を戻した慧夢は目を細めて訝しげな顔をした。
最初は帝都の追っ手かと慧夢は思った。
だが、違うようだ。
道路の真ん中に立つ赤黒い影。
リトルリヴァイアサンは構わず影を轢き殺そうとした。
慧夢が歓喜に打ち震える。
「キミに逢いたかった紫苑!」
赤黒い影が放った輝線が道路の上を駆け抜けた。
「紫苑は死んだ、俺は呪架だ!」
鳥類のような甲高い絶叫があがる。リトルリヴァイアサンが頭を落とされた鳴き声だった。
驚異的な生命力を持つリトルリヴァイアサンは、頭だけになっても呪架に牙を剥いて飛び掛ってきた。
呪架の放った輝線がリトルリヴァイアサンの頭部に奔る。
重い音を立てて地面に落ちた頭部は左右に割れた。どんな驚異的な生命力を持ってしても、脳を半分に裂かれてしまっては死しかないだろう。
「ボクの可愛いペットになんてことを……なーんてね」
慧夢はブロック塀の上に座っていた。
ひょいと軽やかに慧夢は塀から飛び降り、無防備な姿を呪架に晒して立った。
「ボクはついに女帝の呪縛から解き放たれたんだ。ボクらが戦う理由はどこかにあるかい?」
「……ある。おまえのせいでお母さんは戻らぬ人になったんだ!」
呪架の叫びを聴いて慧夢は難しい顔した。
「あのときの……ボクの一撃で母さんは死んだのかい?」
「…………」
呪架は無言のまま答えなかった。ただじっと慧夢の顔を睨みつけている。恨みの込められた憎悪の眼差し。
復讐の時が来た。
血を分けた双子だとしても、呪架の心は変わらない。
呪架の手から妖糸が放たれた。速さも、威力も、孕む鬼気も前とは比べ物にならない。生まれ変わった呪架の業を慧夢は目の当たりにした。
だが、慧夢の業は真物だ。
呪架の妖糸を軽くあしらい、慧夢は妖糸の雨を降らせた。
剣山を横にしたように慧夢から放たれる妖糸の猛撃。計り知れない妖糸が放たれているように見えるが、一度に放っているのは六本の妖糸。それを連続して放っているのだ。
迎え撃つ呪架もまた六本の妖糸を同時に放ち応戦する。
いつの間に呪架が自分の足元まで迫っていたのか。そう考えると慧夢は心の底から身を振るわせた。総毛だった思いは、歓喜。
「強くなったね、紫苑……いや、呪架!」
「おまえを殺すために」
呪架は片手で慧夢に攻撃を仕掛けつつ、残った手で宙を切り裂いた。
闇色の裂け目から怒号が聴こえる、怒号が聴こえる、怒号が聴こえる。〈闇〉はこの上なく怒り狂っていた。
慧夢も〈光〉を呼び覚ます。
光色の裂け目から鎮魂歌が聴こえる。〈闇〉を鎮めるための静かな唄声。
鬼神の形相で呪架が咆える。
「喰らえ!」
妖艶に微笑みながら慧夢が謳う。
「甘美なる世界へ招待するよ」
膨大なエネルギーを孕みながら〈光〉と〈闇〉が激突した。
吹き荒れるエネルギー風に呪架と慧夢は後方に吹き飛ばされた。
体勢を整えようと呪架は足を捌いて躰を止めた。そのまま次の行動に出ようとしたとき、大きな爆発が起きた。
光と闇の粒子が硝子片のように渦巻きながら舞い、爆撃は住宅街の一角にクレーターを掘った。
爆発の衝撃で道路に背を付いていた慧夢は見た。
ミサイルが凄まじい轟音を立てて空を飛空していた。
慧夢はすぐさま立ち上がり、ミサイルを追って後方の空に目を遣った。
ミサイルは上空を飛翔していた翼竜と激突し、空中で大爆発を起こして煙雲の渦をつくった。
「いよいよ帝都も終焉を向かえそうだね」
笑いかける慧夢に呪架は妖糸を放ちながら叫ぶ。
「俺は世界の破滅を望んでる!」
「ボクはカミサマになりたい。狂った世界をぶっ壊して、新しい世界を創るんだ。ステキだろ?」
慧夢は呪架の妖糸を躱し、天に輝く魔法陣を描いた。
光の傀儡士が召喚を魅せるのか!
だが、裏切られた。
宙に描かれた魔法陣が刹那にして八つ裂きにされたのだ。
なにが起きたのか理解できなかった。特に慧夢は唖然と立ち尽くした。
呪架の瞳は慧夢の後方に迫っている帝都警察を映した。
しかし、それよりも強烈プレッシャーが迫っている。
慧夢の瞳は呪架の背後に鮮やかな紅を映した。
白い仮面の主ダーク・シャドウ。
「廃滅の宴に相応しい場所に案内しよう」
ダーク・シャドウの放った妖糸が呪架と慧夢の肢体を一瞬にして拘束した。
「なにしやがる!」
呪架が叫んだ。口は動かせても、躰は完全に動きを封じられている。こんなにも簡単に捕らえられてしまうとは、油断ではなく力の差を呪架は感じた。
ダーク・シャドウは空間を裂き?向こう側?への〈ゲート〉を開く。
そして、拘束されていた呪架と慧夢は妖糸に引きずられ、〈ゲート〉の奥へと姿を消してしまったのだった。
《6》
蒼白い夜の世界が広がっていた。
生臭い黒土が広がる大地を冷たい月が煌々と照らしている。生命は寝静まっているのか、死んでいるのかわからない。この世界を包み込んでいたのは静寂だった。
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)