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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ヴァーミリオン-朱-

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 この鏡に秘密があると感じてセーフィエルは繊手を伸ばした。
 鏡に触れた指先が鏡の中に没した。
 これが〈ゲート〉であると悟ったセーフィエルは鏡の中に飛び込んだ。
 凍える吹雪を躰中に浴びて、セーフィエルは瞬時に腕で顔を隠した。
 白銀の大地や、壮観な白い山脈は見えない。ただ、視界を白が遮っている。
 雪山かどこかに一瞬にして来てしまったようだ。
 セーフィエルの背後で唐草模様を施した扉が閉まる音が聴こえた。
 薄手の黒いナイトドレスに吹き付ける白い雪。黒が白に侵されてしまいそうな猛吹雪であった。
 セーフィエルは凍える仕草も見せずに、膝まで埋まる雪を踏みしめて歩いた。
 方角もわからず、視界も頼りにならないこの状況で、セーフィエルは強く感じていた。求めているモノに、呼ばれているような気がするのだ。
 前方から気配がした。
 視覚ではなく気配で動くものを感じる。
 雪の中に潜んでいた獰猛な生物が、次々と雪粉を舞い上げながら飛び出した。その数はおよそ三匹。
 セーフィエルの視覚には見えていないが、その生物は長く白い体毛に覆われた霊長類であった。ひと言で例えるならば、雪男というイメージがわかり易いだろう。
 臭い雄共の気配がすぐそこまで迫っているのを感じ、セーフィエルは鉄扇を構えて優雅に舞った。
 吹き荒れる吹雪が一瞬だけ鉄扇を仰いだ方向に飛ばされ、餓えた雪男どもの突進を妨げる。
 だが、こけおどしなど時間稼ぎの方法でしかない。
 体勢を立て直した雪男どもが再びセーフィエルに飛び掛る。
 セーフィエルは汗を掻いていた。氷点下の大気に包まれながらも汗を流し、その汗を蒸発させて空気中に溶かす。
 妖艶で芳しい香が雪男どもの鼻をくすぐり、血を煮えたぎらせて極度の欲情が襲う。
 誘惑魔法〈テンプテーション〉だ。
「妾を巡って血の争いをするが好い」
 セーフィエルの魅言葉に誘惑され、興奮した雪男どもが仲間同士で争いをはじめた。
 雪男どもは鉤爪で肉を裂き、互いの肉に噛み付き、飛び散った血飛沫はすぐに雪で隠される。力尽きた死骸も雪に埋まる運命であった。
 もうセーフィエルは雪男に目もくれない。流れ逝く過去の幻影。過去は終わっているから過去なのだ。
 雪の大地は決して平坦ではなく、歩く感じでは山を思わせた。過酷であるはずのその道を、セーフィエルは表情ひとつ変えずに進んだ。
 やがて、セーフィエルの前に雪の壁が立ちはだかった。
 壁伝いに歩いていると、巨大な洞窟を見つけることができた。
 洞窟の入り口は吹雪が吹き込んでいたが、中へ進むに連れて雪は姿を消し、代わりに暗闇が世界を包んだ。
 闇の中でも目が見えるセーフィエルはさらに奥へと進んだ。
 分かれ道のない真っ直ぐな道を進み、行き止まりまで来ると、そこには扉を守るように巨大な戦士の石造が立っていた。
 甲冑の細部まで彫り込まれた石造は、雄々しく立派な出で立ちで、鞘に入った長剣の柄を握り締めていた。今にも剣を抜いて襲い掛かって来そうなポーズだ。
 石造に向かってセーフィエルは鉄扇を構えた。
 襲って来ると感じた。
 早い!
 抜きの一太刀がセーフィエルの腹を薙いだ。
 まるで侍のような剣の抜き方。
 後ろに飛び退いて辛うじて致命傷を避けたセーフィエル。斬られたドレスの下からどす黒い血が滲み出している。
 ?動く石造?の間合いに入っていたのが失敗だった。
 すでに斬られた傷は瘡蓋になっているが、肌の傷はプライドにも傷をつけていた。
 セーフィエルの血の餞別を受けた?動く石造?の長剣は溶けはじめていた。魔導の実験を重ねたセーフィエルの血は、毒性を含み、強い酸も含んでいたのだ。
 それでも?動く石造?は長剣をセーフィエルに振り下ろそうとしていた。
 見上げるほどに高い位置から振り下ろされた長剣の一撃。
 セーフィエルは鉄扇で長剣を受け止め、力を逃がしながら躰を移動させ、高く飛び上がり長い脚から廻し蹴りを放った。
 ?動く石造?の頭が飛んだ。
 首を失っても?動く石造?は動き続け、太い腕を伸ばしてセーフィエルを掴もうとする。
 柔軟な身のこなしでセーフィエルは敵の攻撃を躱し、後ろに廻り込んで?動く石造?に刻まれた文字を背中で見つけた。ヘブル文字で刻まれた?真理?を意味する言葉。
 セーフィエルの鉄扇が?動く石造?の背中を斬る。
 一文字削られた?真理?を意味していた文字はたちまち?死?変わり、?動く石造?は木っ端微塵に砕け散ったのだった。
 伝承が正しければ三三年後に復讐のために復活するというが、セーフィエルにとっては気にするほどのことでもあるまい。
 砕けた石造の中から一本の鍵が出てきた。
 セーフィエルは鍵を拾い上げて奥の扉に差し込んだ。
 鍵は音を立てて、閉じられていた扉が大きく開く。
 薔薇の香が鼻の奥を衝いた。
 大量の紅い薔薇に囲まれた柩がそこには安置されていた。まるで血の海に死んでいるようにも見える。壮観な雰囲気を醸し出している。
 柩の蓋は硝子でできており、セーフィエルが中を覗き込むと、氷の中で眠っているように、瞳を閉じた少女の安らかな顔をあった。
 染み一つなく透き通る白い肌、ブロンドの美しい髪、カールした長い睫毛、高い鼻梁の下で瑞々しい唇が口を噤んでいる。まるで作り物のような端整な顔立ちの美少女が眠っていた。
 セーフィエルは柩の蓋を開け、可憐なドレスに身を包む少女の頬に指先で触れた。
 見た目は安らかな寝息を立てていそうなのに、その頬は氷のように冷たい。
 傀儡の少女。
「……アリス」
 セーフィエルはその名を呼んだ。
 返事はない。
 哀しい想いがセーフィエルの胸に込み上げた。
 そっとセーフィエルはアリスのドレスを脱がせ、胸元を開いて息を呑んだ。
 瞳を閉じたセーフィエルの目頭から涙が滲み出す。
 アリスの胸に埋め込まれていた〈ジュエル〉は割れてしまっていた。
 蒼く美しい宝石のような〈ジュエル〉に皹が入り、その力を失ってしまっていたのだ。
 アリスはセーフィエルの血の繋がった妹であった。
 セーフィエルは黒髪、黒瞳。一族の者は皆そうだった。なのにアリスの髪はブロンドで、瞳の色は蒼かった。一族に生まれてきた突然変異。それでもセーフィエルはアリスを心から愛していた。
 その妹をセーフィエルはある日突然失ったのだ。
 死んだ妹を復活させるために、セーフィエルは秋葉蘭魔という男と傀儡の共同研究をした。
 アリスが完成したのは、セーフィエルが銀河追放されたあとであった。だからセーフィエルは黄泉返ったアリスの姿を見ていない。
 〈ジュエル〉に触れたセーフィエルにアリスの断片が流れ込んでくる。
 黄泉返ったアリスは蘭魔の手によって、時が来るまで眠らされた。
 時は思いのほか、早く来てしまった。
 目覚めたアリスの瞳に映る主人の姿は、蘭魔ではなくその息子の愁斗だった。
 当時、抱いていたアリスの想いがセーフィエルの胸に届く。
 アリスは愁斗のことを慕っていた。
 傀儡として、召使として、主人との関係は一線を越えることはなかった。
 セーフィエルの触れていた〈ジュエル〉が突然、粉々に砕け散って蒼い粉が宙を舞った。