ヴァーミリオン-朱-
どこから発せられる殺気か呪架が気付いたときには、呪架は鋭い鎌に襲われていた。
鎌のように鋭い植物の葉が呪架に襲い掛かったのだ。
葉の強度などたかが知れている。妖糸の前では植物など敵ではない。呪架を襲った植物はあっさりと切り刻まれた。
しかし、呪架は問題に直面した。
意志を持って動く植物はひとつやふたつではなかったのだ。
呪架はジャングルに足を踏み入れた瞬間から、敵に囲まれていたのだ。
植物の葉や幹が呪架に魔の手を向ける。
呪架が妖糸を振るいながら全速力で疾走した。
ぬかるんだ地面から蔓が伸び呪架の足首を掴んだ。
地面に手を付いて倒れた呪架に覆いかぶさる影。食虫植物が一メートルもある口を開けて呪架を呑み込もうとしていた。久しぶりの獲物に消化液を垂らしている。
呪架は妖糸で食虫植物の茎を落とし、足に巻きついていた蔓を切り刻んで立ち上がる。
間も置かずに呪架は魔法陣が描いた。
〈それ〉の咆哮は植物たちをも震え上がらせ、その隙を衝いて呪架は?向こう側?からあるモノを召喚した。
「我が行く道を焼き尽くせ!」
〈それ〉の熱い吐息が世界に炎を纏った紅蓮の怪鳥を羽ばたかせた。
召喚された〈火の鳥〉の尾に呪架はすぐさま妖糸を巻きつけた。
〈火の鳥〉が羽ばたくと火の粉が舞い散り、〈彗星〉の中心部へと向かって飛びはじめた。
植物の楽園は刹那に火の海に包まれ業火で焼かれていく。
このジャングルの中心部には大空洞が口を開けていた。
〈火の鳥〉は比較的に操り易いようで、呪架の意志に従って大空洞をゆっくりと滑空していった。
深さはおよそ七〇メートル。
底に足を付いた呪架は〈火の鳥〉の尾から妖糸を解き、すぐさま妖糸で空間に闇色の裂け目つくった。
〈闇〉の出る幕もなく、自らの意志で〈火の鳥〉は?向こう側?へと還っていく。
呪架の目の前にあるごつごつとした岩石の塊。大きさは二〇メートルくらいだろう。それにはなんと扉がついていた。
扉の前に呪架が立つと、手も触れていないのに左右に開かれ、呪架を中へと導いた。
外観は隕石そのものだったにも関わらず、中はどこかの宮殿に来てしまったと目を疑ってしまう。十八世紀にフランスで広まったロココ様式の家具で、部屋は美しく埋め尽くされていたのだ。
唐草模様や貝殻模様を施された曲線美を生かした家具。
繊細で優美なテーブルと椅子に腰掛け、セーフィエルは優雅にティーカップを片手に呪架を出迎えた。
「いつかは辿り着くじゃろうと思うて、ここで待って居った」
「お前のせいで酷い目に遭った」
「夢殿から脱出できたのは誰のお陰じゃ?」
「うるさい。腕のことも、傀儡だって壊れてしまったんだ」
「傀儡が壊れたじゃと?」
呪架が自ら葬ってしまった。だから呪架は黙り込んだ。そこからセーフィエルがなにを感じ取ったかわからないが、彼女はある致命的なことを察していた。
「傀儡をつくり直すにしても、汝の躰が持たぬじゃろう。妾の心眼から見れば、今そこに立っているのも奇跡にじゃ」
「〈裁きの門〉は近くにあるんだろ? だったら、すぐに傀儡も必用になるはずだ」
エリスの魂を〈ジュエル〉化して、傀儡に埋め込むことが呪架の目標だ。傀儡は絶対的に必用不可欠なものである。
「妾に心当たりがある」
「なんのだ?」
「汝のつくる傀儡よりも上質な傀儡があるはずじゃ。妾はそれを取りに行く」
過去にある男と共同研究をしていたときの傀儡が、おそらく残っているのではないかとセーフィエルは踏んだ。
呪架は間を置いてから頷いた。
「わかったお前に任せる。けど、〈裁きの門〉はどこにある?」
「この場所の真上がもっとも〈裁きの門〉に近い場所じゃ。ただし、物理的にではないために、問題が少々ある」
セーフィエルは柳眉を顰めて話を続ける。
「門を開けられるのは〈裁きの門〉つくった妾か、妾の血を引く者のみ。加えて中に入って、再び外に出ることが可能なのも同じ。ただし、最大問題は〈裁きの門〉をこの世に召喚できるのは女帝とワルキューレのみなのじゃ。シオンがワルキューレじゃった頃は、シオンが〈裁きの門〉の管理を任されておった」
そうなると〈裁きの門〉をどうやってワルキューレに召喚させる?
まさかワルキューレが協力してくれるはずもなく、不可能に近いことを実現しなければならなかった。
異様な魔気が部屋に充満した。第三者の気配だ。
「その役目、私が引き受けよう」
「ダーク・シャドウ!?」
思わず呪架は声を荒げた。
紅いインバネスを翻し、敵意がないことを示してダーク・シャドウは席に着いた。
「私はおまえたちと争うつもりはない。手を貸そう」
「争うつもりがないだと!」
飛び掛らんばかりの呪架をセーフィエルの長い腕が止めた。
「待て、呪架。ダーク・シャドウとやら、汝にはなにか良い手立てがあると申すのかえ?」
「ある」
御託を並べず短く答えた。
セーフィエルは頷いた。
「汝に任せることにしよう。良いな呪架?」
「ふざけるんじゃねえ、こんな奴の手を借りる必要なんてない!」
「妾たちには手立てがない。彼奴の手を借りるしかあるまい」
「……クソッ、好きにしろ」
吐き捨てて呪架は背を向けた。
セーフィエルは呪架の肩を引っ張り自分に向かせ、部屋の奥にある扉を指さした。
「向こうの部屋に肉体を再生させる装置がある。今の汝には気休めじゃが、まだまだ過酷な戦いが待っておるでな、少し躰を休めておくのじゃ」
〈闇〉に犯された躰は肉体的な治癒だけでは完治できない。
「わかったよ、俺は言うこと聞いてりゃいいんだろ」
「なら、向こうの部屋に入って待って居れ」
「クソッタレめ!」
吐き捨てて呪架は隣の部屋に入り、ドアを力いっぱい閉めて消えた。
残されたセーフィエルとダーク・シャドウの間には、異様な空気が取り巻いていた。
セーフィエルの黒瞳が白い仮面の奥の瞳を見据える。
「女帝やワルキューレどもが入れぬここに、どうやって入ったのかえ?」
「答える必要はない。けれど、私はあなたの知りたい情報を知っている――アリスの居場所だ」
「ようわかったの」
「アリスは秋月蘭魔の隠れ家の隠し部屋の、さらに隠し部屋の奥で眠っている」
「……やはり」
呟くセーフィエル。
そして、別れも挨拶もなく、ダーク・シャドウは空間を切り裂き、闇色が広がる世界へ消えた。
《5》
セーフィエルは山奥にある屋敷にやって来た。
呪架とはじめてあった場所もこの屋敷の前だった。
屋敷の中にある第一の隠し部屋の場所はセーフィエルも知っていた。
書庫の本棚の後ろに隠された階段を下り、地下に降りた場所が第一の隠し部屋だ。
ダーク・シャドウは『隠し部屋の、さらに隠し部屋の奥で眠っている』と語ったが、ここから先はセーフィエルも知らない。
石造りの壁に囲まれた地下室はひんやりとした空気が流れていたが、一箇所だけ空気の流れが違う場所があった。空気というかエネルギーといった方が正しいかもしれない。
部屋の奥に立て掛けられていた姿見の鏡。鏡といっても、現代にあるようなものではなく、銅鏡のような金属を磨いてつくった鏡だった。
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)