ヴァーミリオン-朱-
この事件を受けて、ついに女帝は全ワルキューレメンバーの招集を号令した。
だが、戦闘特化タイプのアインとフュンフを欠いてしまっている今、戦力不足は否めなかった。
残りのワルキューレは七名。
女帝は難しい顔をしながらズィーベンに尋ねる。
「ツヴァイとアハトはどのくらいで帰国できそう?」
「ツヴァイは三日ほど、アハトは天候がよければ五日ほどでございましょうか。二人ともあまり交通の便がよろしくない場所に派遣されていますゆえ、すぐの帰国は難しいように存じます」
「海外派遣組み二人はいいとしてさ、ドライはどこでなにやってんの!」
女帝は怒鳴り声をあげた。
「ドライは風来坊でござますから、今もどこになにをしているのやら、通信機すら持たないで出かけておりますので……」
ズィーベンが苦笑しながら言った。
ここでフィアが提案する。
「ドライの躰にこっそり発信機を埋め込むというのはどうでしょう?」
この提案にズィーベンがすぐに否定した。
「それは前にも試みたのでございますが、肉を抉って見事に取り出されてしまいました」
「次は脳ミソにでも生めてやれ」
毒々しく女帝は吐き捨て、他のメンバーについて尋ねる。
「フュンフはどのくらいで現場復帰できそう?」
ズィーベンがすぐに答える。
「フィンフは半日ほど、アインは一日以上とゼクスに聞いてございます」
会議室にもおらず、名前も挙がっていないワルキューレは残り一人。永久欠番のノインだ。
もし帝都でなにか起きた場合、ズィーベンは女帝の元を離れられない。
今、この帝都で自由に動けるのはフィアとゼクスだけだった。
しかし、ゼクスは引きこもりで有名で、滅多なことでは研究室を出ない。
女帝の目がフィアに向けられた。
「今度、帝都で大事件が起きたらフィアが行くんだよ」
丸い眼をしてフィアは慌てた。
「そんな、あたくしが最後に武器を握ったのは聖戦のとき以来ですよ。妖物くらいなら相手にしますけど、アインを倒したダーク・シャドウが再び攻め込んできたら、一目散に逃げさせてもらいます」
ワルキューレのメンバーはこんな調子で、切り札の?メシア?も謎の昏睡状態である。女帝は唇を噛み締めた。
「傀儡士の召喚は使いようによったら、アタシたちの力なんて遥かに凌駕する。〈闇の子〉にそんなすっごい傀儡士が味方するなんて、ばか、ばか、ばか!」
急に女帝は真剣な顔つきになってひとつ咳払いを置いた。
「いざとなったらアタシが覚醒めるから」
慌ててズィーベンが声を荒げた。
「それは危険すぎます!」
フィアも慌てた。
「ヌル様がお覚醒めになるということは〈闇の子〉も覚醒めることになるのですよ!」
慌てふためく二人に女帝は静かに口を開いた。
「いつか必ず来る戦いだから、それをアタシから仕掛けるというだけのこと……。わかってるよ、まだ時期尚早なことは。せめてゼクスに戦闘用の義体を用意して置くようにと伝えて置いて」
女帝の今の躰が義体なのだ。本物の躰は夢殿にある〈名も無き大聖堂〉で眠りに堕ちている。
女帝ヌルこと〈光の子〉が目覚めるとき、〈闇の子〉も同時に目覚める。その逆も同じだ。
「次にアタシと妹が戦うときがラグナロクかもしれないし、まだ一〇〇回ぐらいやるかもしんないけどさ、必ず近いうちに小さな戦いはあると思うよ」
それはわざわざ女帝が口に出さなくとも、ワルキューレは心得ていた。
帝都全体を襲う〈ヨムルンガルド結界〉が起こす地震もまだ続いている。
ズィーベンは神妙な面持ちで眼鏡を直した。
「わたくしの?ダーク?の面が強くなっております。〈裁きの門〉もしくは、〈タルタロス〉で問題が発生しているのかもしれません。あの場所に入り、脱出ができるのはセーフィエルとノインとエリスの三人だけですが、もしかしたら人間との混血も……」
それは呪架、慧夢、愁斗の三人のこと。
一度、足を踏み入れれば永久の囚われ人となる〈裁きの門〉。脱出できるのは三人だけのはずだが、呪架もできるとすれば〈裁きの門〉に行こうとしている可能性は高いとズィーベンは考えた。
現に、今このとき、呪架は死都東京へと向かっていたのだ。
問題は〈裁きの門〉とこの世がもっともリンクしている場所にある。そこがわかっていながらも、帝都政府は手が出せない状況にあったのだ。
なぜならば、そこに〈箒星〉があるから。
《4》
曇る空から小雨が降って来る。
昨日から帝都でも雨が降り続いているが、この場所でも雨が降っていた。
都という華々しさはここにはない。
呪架は死都東京に来ていた。
死都と言っても復興の進んでいる地域と、まったく手の付けられない地域では落差があり、東京都下や二三区の端の再興は目覚ましい。
それとは対照的に、東京都の中心都市であった新宿区付近は死都街と呼ばれ、復興どころか悪化の一途を辿っている。
魔物や異形が跋扈し、異世界の植物がジャングルを形成し、底なし沼から瘴気を噴出している場所もある。
呪架は〈箒星〉の堕ちた旧千代田区に向かっていた。
〈箒星〉は落下時に直径約五〇〇メートルのクレーターをつくり、すでにその周りには短期間で見たこともない植物でジャングルを形成していた。
しかも、その範囲内よりも大きい直径一キロに防護フィールドが張ってあり、帝都政府も日本政府も科学者たちでさえ中に入れない状況だった。
死都東京は帝都が領有権を主張できない。復興の資金は帝都から主に出されているが、元々の領有権を持っている日本が瓦礫となってもその土地を見捨てなかったのだ。東京大空襲や原爆投下、関東大震災が起きても再興をして来た民族だ、自分たちの土地を手放すはずがない。
そもそも帝都エデンですら、日本は自分たちの領土だと主張し、国際社会からも正式に独立国と認めてもらっていない。ここ数十年の間、帝都と日本は冷戦状態にあるのだ。
〈箒星〉の周りは日本政府と帝都政府が対立しながら包囲している。呪架は厳重な警戒をしている帝都政府ではなく、手薄な日本政府の包囲を突破することにして、?向こう側?で身に付けた身を潜める方法で見事に突破した。
防護フィールドは半透明状の膜のようであり、ドーム状に中を覆っている。
この位置から見える中は密生したジャングルだ。青々と草木が生い茂り、一メートル先も見通せない。
呪架は防護フィールドに様子見で妖糸を放った。
妖糸はフィールドに当たった瞬間、勢いを緩和されて絹糸のように地面に落ちた。それを見て、呪架はゆっくりとフィールドの表面に触れてみた。
水面に雫が落ちたように波紋が立つ。
少し押す力を強めると、水に呑まれるように呪架の躰がフィールドを通過した。帝都や日本が手をこまねいていた防護フィールドを、呪架はいとも簡単に抜けてしまったのだ。その理由はまだはっきりとしない。
ジャングルの中に入った呪架は妖糸で道を阻む植物を切り、蛇行することなく真っ直ぐ中心部へと向かった。
このジャングルには動物などの気配はなかった。けれど、呪架はずっと誰かに見張られているようで、禍々しい殺気も感じていた。それがどこから発せられている殺気なのか、漠然としてはっきりしないのだ。
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)