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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ヴァーミリオン-朱-

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 灰色の世界から次々と雨が堕ちて来る。
 帝都に降る汚れた雨ではなにも洗い流せない。
 憔悴しきっている瞳を下界に戻すと、傘を差してゴミ置き場にやって来る女性の姿をあった。
 身を隠すことすら今の呪架には面倒だった。
 まともな神経を持ち合わせていれば、こんな浮浪者のような呪架に近づかないだろう。
 しかし、この街に侵されている神経の持ち主だったら、こんなこともあるかも知れない。
 少し背を丸めてフードの奥にある呪架の瞳を覗き込む女性。
 二十代後半くらいの年齢で、化粧をすれば夜の街が似合いそうな女性だった。
 女性がなにかをしゃべっている。呪架には無音の世界で女性が口を動かしているように見えた。
 そして、女性が伸ばした手を呪架は無意識のうちの握っていたのだ。
 呪架は捨て猫のように拾われた。
 夢幻に囚われた呪架はふらふらとした足取りで歩いた。
 道を歩き、エレベーターに乗せられ、部屋の中に通されたような気がするが、すべて夢かもしれない。
 そして、熱いシャワーを顔に浴びて呪架は意識を取り戻した。
 あまりにも驚いたために、思わず声をあげそうになってしまった。
 現状を理解するのに時間を要してしまった。
 覚醒した頭を働かせて呪架はシャワールームを飛び出した。
 脱衣所でバスタオルを用意していた女性と目が合う。
 女性の瞳に映る一糸纏わない呪架の裸体。
 スレンダーな躰に小ぶりなヒップ、少し膨らんだ乳房が幼さを匂わせる。
 自分の秘密を知られた呪架は異形の腕を振り上げたが、それを左腕――人間の手が止めた。
 呪架は?向こう側?で女としての自分を捨て、男として今まで生きてきた。
 あのとき慧夢は言っていた。
 ――双子の妹。
 それは真実だったのだ。
 女性は持っていたバスタオルで呪架の躰を優しく拭いた。異形と化した腕を恐れることなく、母親が小さな子供の面倒を見るように、女性の瞳は呪架を慈しんでした。
「この腕はどうしたの?」
 と、女性に訊かれたが呪架は無言のままだった。
 〈ホーム〉で自分が犯した罪を思い出す呪架。半狂乱だったとはいえ、自分を救ってくれた少女まで殺してしまった。自分以外の者は信用できないが、あの〈ホーム〉の少女の瞳は純粋だった。その瞳が恐ろしい顔をして見開かれたのだ。
「いつから変わってしまったのか……」
 呪架は想いを無意識のうちに呟いてしまっていた。
 〈闇〉が躰を蝕むせいなのか、?向こう側?で生きるためだったのか、それともこれが自分の本性だったのか、呪架にはわからない。
 躰にバスタオルを巻かれた呪架は手を引かれた。
「こっちに来て」
 女性に誘われるまま、呪架は身を委ねた。
 洗面台の前で髪を梳かされ、ドライヤーの熱風が呪架の髪を撫でる。
 目を瞑った呪架の瞼に映し出される過去の記憶。
 幼い頃の母との思い出。
 今と同じようにドライヤーをかけられながら、髪を梳かしてもらっていた。あの頃は髪の毛が腰まであって、いつも母に梳かしてもらっていたのだ。
 目を開けると母の幻は消えてしまったが、鏡越しに見える女性の微笑む姿。
 なぜか呪架は胸が込み上げ、熱い涙が頬を伝った。
 女性の指先が呪架の涙を拭った。
「どうしたの、大丈夫?」
 優しい声をかけられて、もう涙は止まらなかった。
 一生分の涙を過去に流し尽くしてしまったと思っていたのに……。
 揺れる呪架の感情。
 切れる緊張の糸。
 声を出して慟哭する呪架は女性に抱きつき、肩を上下に震わせて温もりを感じた。
「お母さんが殺された日から、ずっと独りで生きてきたのに……」
 不覚にも呪架は心の弱さを見せてしまった。
 それを優しく包み込むように、女性は呪架の耳元で囁く。
「心配いらないわ」
 誘惑されるような声だった。
 女性はそのまま言葉を続ける。
「〈闇の子〉の仲間になれば、不安もなにもなくなる。あなたの望むモノも手に入るかもしれない」
 ――悪魔の誘惑。
「誰だ、お前!?」
 驚いた呪架は女性の躰を突き飛ばした。
 心地よい夢が悪夢の変わった瞬間。
 女性が艶やかに微笑んだ。この女性が決してできない表情だ。中身が違う。
 それを証明するように、女性は聞き覚えのある声を発したのだ。
「私はお前が必用だ。仲間になれ……紫苑」
 呪架はすべてを察した。
 この女性はダーク・シャドウが操る傀儡なのだ!
 深い絶望が呪架の心を闇に閉ざす。
 裏切られた。
 やはり誰も信用してはいけない。
 感情の荒波が相手を問い詰める前に、呪架の手に妖糸を振るわせていた。
 眼を剥いて首を刎ねられた女性の生首が床に堕ちる。
 返り血を浴びた呪架のバスタオルが美しい鮮血に彩られた。
 首を堕とされた躰から流れ出る血。傀儡は生身の人間を操っていたのだ。
 ――いつから?
 もしかしたら、雨の中で呪架を拾ったときは、本人の人格があったかもしれない。
 髪の毛を梳いてくれたのは誰だ?
 注がれた優しさは誰だ?
 呪架を見つめる女性の瞳は嘘だったのか?
「クソッ、俺を弄んで楽しいかッ!」
 怒りの涙を流す呪架に生首が口を聞く。
「お前に優しくしてくれた女を殺すとは悪魔の所業だな」
「優しさなんて嘘だ、お前が操ってたんだろ!」
「この女の優しさは本物だった」
「嘘だーッ!」
 壮絶な絶望感が呪架の感情を乱す。
 女性の生首は笑い声を発してから言う。
「私の言うことが嘘かどうか、それは自分で見極めろ。今から私が言う情報についてもだ」
「…………」
「お前が求めているモノが魔導街のマルバス魔導病院にある」
「なにがあるんだ!」
 生首は答えなかった。もう物言わぬ死人と化してしまったのだ。
 ダーク・シャドウの罠なのか、それを悩む必用はなかった。罠だとしてもそれを逆に利用してやるつもりで呪架はいた。
 返り討ちにしてやる。
 呪架の心はさらに闇に堕ちていったのだった。