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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ヴァーミリオン-朱-

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 セーフィエルの手が呪架の躰に触れた瞬間、歪む映像のように呪架の躰が揺れ動き、その姿は霞みのように消してしまった。
 呪架を消したセーフィエルが艶やかに微笑む。
「成功したか失敗したかはわからぬ。呪架は空間転送させてもらった」
 呪架のいなくなったこの場所で、魔法陣が破滅を世界に解き放つ。

《5》

 ガムテープで補修された窓ガラスから朝日が差し込む。
 瞼の上を泳ぐ残像。
 荒い息を吸い込みながら呪架は目覚めた。
 呪架の掻いた汗が固いベッドに染み込んでいる。
 剥き出しのコンクリートに囲まれた壁や天井。モダンな雰囲気というより、薄汚い印象を受ける。
 躰に掛けられていたボロ布は誰の思いやりだろうか?
 とりあえず捕らえられたわけではなさそうだ。
 ここはいったいどこで、自分の身になにが起きたのか、呪架の記憶はあやふやだった。
 セーフィエルに魔法を掛けられ、どこか得体の知れない場所に飛ばされた。
 視界が歪み、躰の感覚は麻痺してしまい、原色の光が次々と襲って来た。
 躰が酷く重い。
 瞼を開けているのも辛いくらいだ。
 瞳を閉じた呪架の脳裏に響く声。
 どこかに行かなければならないような気がした。
「そうだ……死都に……」
 ダーク・シャドウが言っていたことが事実かはわからない。けれど、確たる情報がない限り、ひとつひとつ確かめていくしかない。
 呪架はベッドから起き上がろうとしたが、激しい痛みが躰の内側から滲み出して来る。躰中が擦り傷を負ったようなヒリヒリとした感覚もある。
 セーフィエルの空間転送は辛うじて成功したが、その代償として呪架は躰中に擦り傷と、内臓の損傷を受けていたのだ。
 天井を見つめていた呪架は人の気配を感じた。
 自分よりも年が下くらいのいたいけな少女が、ドアの間から顔を見せる。
「目覚めたみたいでよかった」
 と、少女は満面の笑みを浮かべた。
「丸一日も眠っていたから、心配しちゃって」
 いつから数えて丸一日なのだろうか?
「俺はなぜここにいる?」
「空から降って来たのをあたしがここに運んで来たの。あなたが落ちた場所がちょうどテントの上で、持ち主のオジサンがカンカンに怒っちゃって大変だったんだから」
「ここはどこだ?」
「ホウジュ区の〈ホーム〉」
 〈ホーム〉とは帝都の影を象徴しているスラム街の中でも、特に大きなスラム街のことを云う。
 こんなところで油を売っていられないと、咳き込みながら立ち上がろうとする呪架。それを少女が止めようとする。
「ダメだってムリしちゃ」
「うるさい」
 制止する少女の手を呪架が薙ぎ払おうとした瞬間、シーツから出した自分の腕を見て呪架は眼を剥いた。
「ウアァァァァッ!」
 呪架の絶叫が木霊した。
 腕がない。
 消失ではなく、自分の腕がないのだ。
 自分の腕があった場所には、昆虫のような脚が付いていたのだ。
 セーフィエルが行なった空間転送は、異世界を経由して物体を別の場所に転送する。呪架は異世界を通過する過程で、そこにいた生物と融合されてしまっていたのだ。
 しかも、異形と化した腕は利き腕。これでは妖糸も振るえまい。
「どうして、どうしてだ、クソッ!」
 震えながら発狂寸前の呪架の肩を抱こうと少女が手を伸ばす。
 その刹那だった。
 異形の鋭い爪が少女の顔を抉り、絶叫しながら少女は顔面を押さえて怯んだ。
 野獣のような叫びがあがり、異形の爪が少女の心臓を貫く。
「クソッ!」
 怒りに震える異形の爪の先から、真っ赤な雫がボトボトと床に零れ堕ちた。
 惨殺された死骸を見下す呪架の瞳は狂気を孕んでいる。
 自分を救ってくれた少女を呪架は怒りに任せて殺したのだ。
 少女の絶叫を聞きつけて体躯の良い男が部屋に飛び込んで来た。
 男はそこにある悲惨な光景を目の当たりにして、我武者羅に呪架に飛び掛ろうとした。
 呪架はクツクツと嗤った。
 異形の腕がバネのように伸び、鋭い爪が男の首にめり込む。口から鮮血の泡を吹き出しながら、男は首を折られ死んだ。
 もう呪架の怒りは止められなかった。呪架は破壊の化身になろうとしていた。
 駆け出した呪架の前に次々と現れる人影。本能に任せた呪架は相手の顔も見ぬまま、血の華を蹴散らしながら暴れまわった。異形の腕で肉を抉り、左手から妖糸の嵐を放つ。
 自分が廃ビルから出たことも気付かず、呪架は走り続けて邪魔なものはすべて排除した。それが人だったか、物だったのかも判断できていない。
 簡易住宅やテントを倒壊させ、物言わせぬままホームレスを八つ裂きにした。
 呪架の通った道は朱に染まり、残酷な残骸だけが残った。
 ビルの間から覗く空が曇りはじめている。じめじめした湿気が立ち込め、土砂降りの雨が降りそうな気配がした。
 遠くから聴こえる雷光の音に合わせて、呪架が遠吠えをあげる。
 今、呪架の目を通して見える光景は幻の世界。
 断片的な記憶。
 自分がなにをしているのかすら呪架は気付いていない。
 銃声が鳴り響いた。
 〈ホーム〉の住人たちが呪架の銃口を向けている。
 銃弾の雨が呪架を貫かんとする。
 呪架は逃げた。
 銃弾から逃げたのではない。
 言い知れぬ恐怖から逃げ出した。
 その恐怖の原因はわからない。
 ただ、締め付けられるように胸が苦しい。
 乾いた銃声を背中で感じながら、呪架は〈ホーム〉から姿を消した。

《6》

 〈ホーム〉から逃げ出した呪架は人のいない街を彷徨い続けた。
 人の目を避けながら入り組んだ裏路地を抜ける。
 怒りは静まったが、冷静には程遠い。
 どのくらい胃に食べ物を入れていなかったのだろうか。餓えが呪架を襲う。
 ゴミ置き場が目に留まり、呪架はゴミ袋を破きながら鴉のように荒らし散らかすが、出てくるのは紙やプラスチックなどの分別されていないゴミ。
 ふと目を横に向けると、壁際を走る毛皮を纏った三〇センチほどの影。
 呪架の妖糸が屠る。
 獲物となったのは巨大な鼠。これでも帝都では小さい方だが――。
 鼠の皮を剥ぎ、首元に歯を立てて血を啜る。
 呪架は咽喉を動かしながら渇きを癒した。
 口についた血の一滴も無駄にしないように、唇についた血を艶やかに舐め廻す。
 そして、レストランで出される骨付き肉を頬張るように、鼠の生肉にがっついて頬いっぱいに詰め込んだ。
 常人であれば腹を壊したり、悪性の病気をしたりしそうなものだが、?向こう側?ではこういう食事が当たり前で通っていた。
 肉を喰らっていた呪架がその口と手を止め、曇天が都市を覆う空を見上げた。
 呪架の頬に落ちた雨粒。
 それが合図だったように土砂降りの雨が降ってきた。
 アスファルトを殴る巨大な雨粒。
 濡れたローブは重く呪架の躰に圧し掛かり、紅い雫がローブからボトボトと零れ堕ちる。
 呪架は食べることに飽きた肉を投げ捨て、ローブについていたフードを被って地面に座り込んだ。
 ビルの壁にもたれ掛かり、地面に付いた尻が水を吸って冷える。
 屋根のある場所に移動するのすら面倒だった。
 呪架の目に映る天は虚空。厚い雲に覆われていようと、大雨が降っていようと、空虚な虚空。現実の風景など無くしてしまった心には映らない。