世界は今日も廻る 3
崎本さんの心底不思議そうな声に、俺は逆に首を傾げる。食べた分だけ消費すれば太ることってないと思うんだけど。毎日真面目にお仕事して、それなりに真面目に動いていれば自然と体はカロリーを消費するように出来てるもんだよな、うん。それに、俺は食べるの好きだけど暴食はしないし、何よりも美味しいものを暴食することは美味しいものへの冒涜だと思うし。適量を食べるから食事は楽しいんだよ。それと同じで、適量を摂取するから酒や煙草も美味い。時々信じられないような飲み方するの見ると、本気で殺意覚える。
「おい、アール。今日の音楽はどーすんだ?」
「任せるよー。でもあんまり騒がしいのは勘弁して欲しいかな。ドレスだし、ワルツっぽいの。」
適当な俺のチョイスに肯くのは、先ほど俺を引っ立ててくれた人。このライブハウスのオーナーで、崎本さんの一番の理解者にして協力者。そして金に汚い拝金主義の守銭奴。とにかく世の中金だけが全てで金だけが最上で金の為なら労力を惜しまないって人。金の匂いがあるところには必ず顔を出して、金になりそうなものや金に化けそうなものを驚異的な嗅覚で嗅ぎ分けて、キッチリ利益に還元する人。もともとこのショーも、そうやって嗅ぎあてた金脈の一つだ。今では随分メジャーになって、見込んでいた以上の収益を上げているらしい。全部崎本さんの又聞きだから、真偽の程は不明。
でも、俺はそーゆー人嫌いじゃない。利益を追う人ってのは、その一点においては何よりも信頼できる。行動基準がはっきりしてるから、手を切るときも切られるときも見極めやすいし。
ライブハウスと銘打つだけあって、音はとにかくイイ。音響がいいのもあるけど、この人の音楽の趣味はとても幅広くてとても深い。マリアナ海溝だって、誰かが言っていたけど誰だっけな。
ショーのBGMに迷ったときはこの人に任せれば、会場にピッタリの音を探して流してくれる。さすが商売人ってところだろうね。
ドレスのお着替えが終わって、頭にやたらと重い飾りを載せられて支度は完成。瞬きするたびに目の端でチラチラ動く羽がちょっと邪魔。
「今日って、どんぐらい来るわけ?」
部屋の隅で黙って煙草吸ってた二城が久しぶりに声を出す。この馬鹿でも黙ることが出来るのかと久しぶりに新鮮な思い。この馬鹿が黙っているときは二種類、怒っているか眠っているか。多分、ついさっきまで転寝でもしてたんだろう。ずるい。
「動員は150ぐらいね。入れ替え考えても300行くかぐらいだと思うわよ。」
「出場は?」
「あーちゃん含めて19名。もうすぐ他の子もくると思うわよ。今日はバンドの演奏もあるから。」
ふーん。じゃ、俺はでずっぱりじゃないんだ。良かった。一度酷い目にあったのは、三時間のショーを俺一人でモデルやらされた事。あれは死ぬかと思った。次々に引っ込んでは服を変えて飛び出す。あの時は確かお金が無いと動かない子ばっかりが予定開いちゃって、俺みたいに楽しければOKみたいな子は皆予定入ったりで忙しかったらしい。対して可愛くない子ってのは総じてお金に汚い子ばっかりでした。私モデルよって顔してる割に、所作が汚い。顔は確かに綺麗かもしれないけど、内面から滲み出る何かが凄く汚く見えた。ちょっとした仕草に品がない。どれだけ汚かろうが、どれだけいい加減だろうが、品を持ってる人ってのはとても綺麗。靴を脱ぎ散らかそうが、汚い言葉で罵詈雑言喚きたてようが、綺麗に見える。これは、きっと頑張れば身に付くのだろうけど、初めから持ってる人とは圧倒的に差がある。
鏡の中で睨み返してくるキツイ目つきの女。まぁ俺なんだけど。本当に崎本さんのメイクは魔法みたいだ。女を男に、男を女に。自由自在にスティック一本で性別を操る。マジシャンの異名を取るだけあるね。
「あー、リハでステージ歩け。」
「うーい。」
どっこいしょと立ち上がると、狭いキャットウォーク抜けて下手から舞台へ。ジャンクボックスのステーズは花道があって、円形ステージと繋がっている。メインのステージはそれなりに広いし、面白い展開が出来るのでバンドマンの間では結構重宝されてるらしい。実際に、このライブハウスからメジャーに進出したバンドもいるとかいないとか。多分いないだろうね。メジャーに飛び出てお飾りで大人しくラブソングを歌うようなバンドは、そもそもこのライブハウスを選ぶわけが無い。それに今時、テレビの価値もメディアの価値も信じるものが馬鹿だ。結局、最後に信じられるのは自分の目と耳。それに感覚だけ。踊らされるばかりの馬鹿だけじゃないってことね。
客席から指示するタケさんに従って、メインステージや花道、円形ステージを何度の往復する。その度に照明へ指示が飛ぶ。スポットだのカラーの切り替えだの詳しい用語が飛び交う中、俺は馬鹿みたいに歩く。途中で二階ぐらい転んだけど。やたらとヒールの高い今回の靴は歩きにくいことこの上ない。世の中ピンヒールでダッシュする女がいるらしいけど、俺には絶対出来ない芸当。だけど、ヒールが奏でる独特の足音は好き。かつかつ、こつこつ、高いし耳障りなんだけど、何となく馴染む音。街中でリズムを形成する一つの要素だからかもしれない。
ようやくタケさんからのOKが出て、入れ替わりに別のモデルの子やバンドマンがリハを行っていく。総合演出という名の何でも屋をやってるタケさんと崎本さんは、何やらすっかり忙しそうになってる。後は本番まで暇なので、ここらで一服。
衣装合わせとかメイクしているときに煙草吸うと、タケさんや崎本さんに怒られる。
「あー、煙草。」
「これ一箱吸ったら禁煙する。」
「あー、煙草。」
「うん。控える。」
ずいっと差し出された灰皿を持つイチさん。イチさんも暇になったみたい。忙しそうなタケさん、崎本さん。そんな二人にちょっかい掛けては怒鳴られてる馬鹿。そんでもって、黙ったままレース編みを作ってるイチさん。概ね何時もと同じ開場前のリハの光景だ。
どこかのバンドの音が鳴り響いて、頭って言うか体に直接音が伝わって気持ちイイ。工場の機械音の中で昼寝するみたいな感じ。あの重低音は癖になると思う。
ちょっと壁に寄りかかってうつらうつらしようかなーとか思ったら、寄りかかると頭とドレスが崩れるから直立不動で立っていろとタケさんに怒鳴られる。いやいや、嫌だよ、疲れるし。
「おい、寝るなってよ。」
「寝てねーよ、馬鹿。」
「目が半分死んでるけど?」
「眠いんだよ。」
瞼がくっつこうとするのを気力だけで押しとどめている俺と、そんな俺を楽しそうに見つめる馬鹿。あ、この顔はなんか禄でもないこと考えてる顔だ。とか思ったら、異常に近い馬鹿の顔。持ち上げられる俺の顔と、その隙間は3cm。
唇にやわっこい感触。この感触は、好き。甘いお菓子でも食べるみたいな、まるで夢の中みたいな感じがする。タケさんの怒声と、崎本さんの悲鳴。周囲で盛り上がる女の子の黄色い声。
全てを飲み込むみたいな、キス。
「巫戯気んな。」
作品名:世界は今日も廻る 3 作家名:雪都