世界は今日も廻る 3
はむはむと唇の感触を楽しんでいたら、いきなり馬鹿の顔が剥がれる。その後ろでは、珍しく目をかかっぴらいたイチさんがガムテープ片手に立っている。鈍い音が聞こえたととか思ったけど、ガムテープで人の頭を殴るとあんな音がするらしい。続いて、どこからか投げつけられたカセットテープ。降ってくるファンデーションのケース。タケさんと崎本さんだ。
「にじょー・・・その頭かち割って脳みそに直接メイクしてあげようかぁ?」
崎本さんが、男になってる。いや、見た目は綺麗なお姉さんのままだけど、オーラが。って言うか、声が男だ。低い、低い、まるで地面スレスレを走る燕みたいな。キレがあるけど低いみたいな?崎本さんは、こっちの声のほうが綺麗なのに。
その後ろでタケさんが、無言のまま何処かのバンドのギターを奪って振りかぶっている。ギターで素振りする人初めて見たよ、俺は。
「いやいや、ちょっと待とうよ皆。今のは不可抗力だろ?寝そうなアールちゃんの意識を繋ぎ止めた俺を誉めはすれど殺そうとするところじゃなくね?」
「死ね。」
イチさんの絶対零度の突っ込みにもめげずに、馬鹿は機関銃のように喋り捲る。タケさんの眉間の皺が1cm深くなって、崎本さんの目つきが益々鋭くなる。
「それにしては、あーの目が覚めてる気配はないけどな?」
「そりゃねぇ、こんなところで濃厚な一発仕掛けるわけにはいかないし、唇はむはむするのコイツ好きだからねぇ。」
「死ね。死ねばいい。朽ちろ、滅しろ。」
イチさん、ますます冷たさに拍車が掛かりました。怒ってるみたです、怖いです。このイチさんを相手にクダラナイお喋りを続ける馬鹿は、正真正銘の馬鹿なんだろうけどちょっと尊敬する。俺には絶対に出来ない芸当だ。真似する気もないけど。
「ムカつく。私もしたい。あー。」
イチさんが、こいこいと俺を手招く。これに逆らったら、殺す。みたいな目をしたイチさんには逆らえない。逆らう気力もないし、これが目は口ほどに物を言うって表現なだろうと思う。
招かれた俺は、ほいほいとイチさんに近づく。ぐいっと、細い腕に見合わぬ強さで引かれる俺の腕、そのままイチさんの胸にダイブして、ちゅーっと吸い付くやわっこい唇。
イチさんの唇は薄くて、ヒヤッとしている。氷にでもキスしてるみたいな感じ。すぐに体温が移って温かくなるその過程が面白い。
「いーちー・・・お前は、何をしてる何を。」
「キス。」
「見りゃ分かる。」
「接吻。」
「言い方変えても同じな。何を羨ましいことしてやがるんだって聞いてんだよ。」
「浮気だ。」
「指一本触れてねーのに浮気になるか。」
「セクハラだ。」
イチさんとのキスは、なんだか面白い。気持ちイイのは当たり前だけど、それ以上に感情の伴わない感じ。うーん・・・・あれだ、鏡とキスするみたいな。何も移さない、反映しないキス。ただ、唇の感触を交換しているだけ。
「あーちゃん、私とも。」
「ずるーい、私ともチューしよー。」
わらわらと囲まれて、次々と唇を奪われる。色んな色が移るキス。女の子に囲まれてキスを受けるのは好きだ。気持ちイイ。
それを苦笑しつつ見る男と悔しそうに見る男と妬ましそうに見る男。俺も男なんだけど、どうもこの場所では俺はお人形と同じ扱いみたいだ。男なんだけど、男として見られない。むしろ、人として見られていない。綺麗な、綺麗な、お人形。子供が着せ替え遊びをして玩具にキスをするのと同じだろうな。
二城とのキスは、今のキスとはちょっと違う。なんだろう、もっと生々しい。リアルに体温を交換する行為なんだと実感するキス。まぁ、気持ちイイから何でもいいけど。
そんな騒がしさも、オーナーの一括で落ち着く。開演時間までにリハーサルを終わらせろと神の一声で、ようやく事態は収拾して再び自分の仕事に戻る人達。
「イチさん。」
「ん。」
「また、キスしましょうね。」
言った端から、崎本さんとタケさんに殴られました。痛い。理不尽。
作品名:世界は今日も廻る 3 作家名:雪都