ライフジャケット
恵美が唇を噛み締めた。高杉はおそらく職場で嫌な思いを恵美がしているのだろうと推測する。
「でも、覚悟は出来ているんです」
恵美が高杉の目を見据えて言った。高杉は思う。母として逞しく成長していかなければ生きていけない立場に置かれている恵美を応援してやりたいと。
高杉が恵美に会った機会は、今までそれほど多くはない。互いに同僚、そして釣り友達として接し、その家族とまでは付き合いがなかった。恵美とは宮本が死ぬまで二、三回、釣りの帰りに挨拶を交わした程度だった。
「実は高杉さんに貰ってもらいたい物があるんです」
恵美がそっと立ち上がった。
「貰ってもらいたい物?」
「主人の釣具ですわ」
「ああ、なるほど」
恵美は高杉を案内した。
そこは宮本の趣味部屋ともいう部屋で、パソコンや釣具が置かれていた。
「ここ、今まで女人禁制だったんです」
そう言いながら、この日初めて恵美が笑った。
「しかし、羨ましいですな。こんな趣味部屋まで持てて」
「主人の父が資産家でしたから」
「なるほど」
高杉と宮本は同期入社となる。だが、高杉は主任で、宮本は平社員だ。それでもお互いに釣り友達として、肩書きの違いを気にしたことはなかった。実際、勤務中にも釣りの話題をよくして、デコボココンビなどと周囲から呼ばれていたものである。宮本には出世欲がなく、いつものんびりと仕事をしているように、高杉には感じられた。それは、親の資産に裏打ちされたものだったのかもしれない。
高杉は改めて部屋の中を見回す。壁には整然と立て掛けられた釣竿の数々。お洒落なサイドボードにはリールが飾られている。何段にも重ねられたカラーボックスにはぎっしりと釣具が詰め込まれていた。
「これを全部、私に……?」
「ええ、私には使い道がないので」
高杉は腕組みをした。宮本の釣竿、リール、どれをとっても一流メーカーの一流品で、正直なところ、喉から手が出るほど欲しくなるほどの品だった。しかし、だからこそ貰うのに躊躇いが生じるというものだ。
「これは、どれも一流品ですね。一生物ですよ」
「私が持っていても宝の持ち腐れです」
「お子さんが大きくなって使ってもよいでしょう?」
「果たして釣り、まして船の釣りなんかやるかどうか……。教えて下さる方もいませんし……」