「哀の川」 第六章 直樹の独立
「そうよね、きっと使いきれないほどあるわよね」
「それは言いすぎよ、ハハハ・・・」
「そうね、ハハハ・・・」
女同士の会話はしばらく続いた。裕子は麻子の幸せを心から祝福したい思いであった。
次の日曜日ダンスレッスンの後で麻子と直樹は今後のことを話し合っていた。
「ねえ、直樹。スポンサーを探す事もいいけど、自分で会社設立して動いた方が信用が出来るよ。姉さんも自宅を建て直して直樹と私のために仕事し易いようにしてくれるって、言ってくれているし。いけない?」
「そうなの、ありがたい話だね、ボクみたいなまだ先がわからない人間に、そこまで言ってくれて。良く考えてみるよ」
「うん、是非そうして欲しいわ。この前言っていた通販の会社って行って来たの?」
「うん、担当者に会ってきたよ。条件が厳しくて、勘定が合わなかったから保留で帰ってきた。初めてだから、試されたんだろうね・・・悔しいけど、信用がないよ!まだ・・・」
「良かったじゃない!話してそのことが解っただけでも。まだまだこれからよ、もっと厳しいことが来るだろうから」
「そうだね、そうだよ!キミは楽天家って言うか、いい考え方しているね、アハハハ・・・」
「笑い事じゃないわよ!ねえ、言い方が悪ければ許してね。今度から正式な交渉の場で、直樹と私の名前の入った会社要綱を見せて欲しいの。個人じゃいけないわ。形だけでもあなたが社長で私が専務でいいから、組織として動いているようにしないと信用力に欠けるのよ」
直樹は、麻子の知識に正直ビックリした。仕事はしていなくても、会社を経営している夫の脇は固めていたのだろう。その辺りの事は重々心得ていた。そして、直樹もその通りだと考えていた。
「麻子、大橋さんの所へ行ってくれないか?一緒に。法人設立の話を教えて頂こうかと思うんだけど・・・」
「いいわ、そうしましょう!善は急げね、明日行きましょう!」
話しが急展開を見せ始めた。月曜日の朝、渋谷で麻子と待ち合わせて、大橋事務所に向かって、仲良く歩いていた。
「いや〜お久しぶりですね、斉藤さんと麻子さん。今日はどうなされました?」大橋は機嫌よく出迎えてくれた。
「はい、ご相談があって、お時間大丈夫ですか?」
「えーっと、この後は午後一時から約束があるので、それまでは構いませんよ」
「良かった!ねえ直樹。話してみて」
「大橋さん、実はこのたび会社を辞めまして、麻子さんと共同で会社を設立したく相談に来ました」
「ほう、それは素晴らしい話しですね。前回とは全く違う、アハハハ・・・これは失礼、しました。一般に法人には大きく二種類あります。個人経営の域は出ないが会社組織にする有限会社と、会計監査を親族以外で登録する株式会社の二つです。出来れば株式会社が信用も高く勧める形態です」
「そうですか、必要なものはなんでしょう?」
「まず、発起人として七名の登記が必要です。代表取締役社長一名と取り締まり役員、会計監査で七名です。役員は家族で大丈夫です。資本金の証明が要りますので、銀行にそれぞれからの振込による設立資金を預金して、その残高証明を添付します。最低金額は三百万円(現在は改定されている)ですが、将来の売上予想が大きければそれなりに多くするのが好ましいでしょう」
「はい、売上予想は全くつきませんが、自分の希望収入から逆算して大体5億ぐらいにはしたいと考えています。このぐらいだと幾らが良いのでしょう?」
「そうですね・・・二、三千万かなあ・・・まあ、1千万でも構いませんが」
「麻子、どう思う?」
「そうね、仕入れ商品の手配や什器備品も資本金からの払い出しにするから、二千万ぐらいにしましょうよ。出すから・・・」
「えっ?麻子が?本当に」
「斉藤さん、そうされた方がよろしいですね。金額はじゃあ、二千万で書類はこちらで作らせて頂きます。あとは、出資人の残り四名と会計監査決まりましたら、お知らせ下さい」
少し詳しい話しを聞いて、時間が来たので事務所を出た。階段を下りたところで、驚いた人と出会った。好子である。
「あら!斉藤さん、麻子さんも!どうされたの?」
「ビックリですね。私たちは会社設立のために相談に来ました。好子さんは?」
「へえ〜そうなの、出世ね。社長さんになるのね、おめでとう!・・・私は・・・離婚の手続きに来たの・・・やっぱりダメだったの」
麻子にはショックだった。離婚がではない。好子さんは?と聞いた直樹の答え方にだった。
「麻子、どこかで昼ご飯食べないとね、どうする?」
「・・・」
「どうしたの?黙って・・・」
「好子さんじゃなくて、加藤さんって呼んでよ!親しいみたいじゃない」
「えっ?そんなこと気にしてたの。僕はお姉さんのことも裕子さん、って呼んでるし、長年勤めてお世話になってた専務を今は好子さんで構わないんじゃないの?イヤなら気をつけるよ、ゴメン・・・」
「直樹、女はね自分以外の女性と親しくはして欲しくないし、そう感じさせても欲しくないの。親兄弟以外はみんなライバルなのよ。幼なじみでも、自分に彼女や妻がいたら、氏で呼んで欲しいわ」
「解ったよ!機嫌直して、ね?ご飯にしようよ、お腹空いたし・・・」
「本当よ!今度言ったら、しばらく口聞かないから!」
怖い顔をして直樹を見た。直樹はしまったと思ったが遅かった。繊細な心を持つ麻子とはこれからは気をつけないといけないと肝に銘じた。昼ご飯を済ませ、麻子の家に着いた。事前に母親に話していたから快く迎えられた直樹は、落ち着かない様子でソファーに腰掛けていた。
「直樹、わたし達ダンスの大会があるでしょ、だから今色々と動く事は避けたいの。終わってからここの建て替えに入って秋から営業開始にするって言う段取りでどうかしら?」
「そうだね、大会は僕も真剣に望みたいから、これからは毎日でも練習しよう!段取りは麻子に任せるよ。それと、大会が終わってしばらくしたら、仕入れ元への交渉にイギリスへ行きたいから、麻子とそれに通訳お願いしたいから裕子さんと三人で出かけよう」
「ホント!素敵、ねえもし許せるなら夏休みにしてくれれば、純一も連れて行ってあげたいの?ダメかしら・・・」
「そうだ、それがいいね、キミと純一君が観光してくれている間に、ボクと裕子さんで商談済ませるよ。それがいい」
「姉なら、心配要らないからそれでいいわ」
「おいおい、何を心配するんだよ!誰とでもそうならないよ」
「うそ!信用出来ない発言ね。男の人は女性から求められると断らないって言うから・・・信じないことにしたの。好きなことと、信じることは別だから」
「なんということだ・・・助けて下さいよ!裕子さん・・・」
「あなた、自業自得ね、ハハハ・・・」
入ってきた裕子に助けを求めたが、仇になってしまった。
大橋の事務所に来た好子は財産分与と会社の役員辞退について相談していた。大橋は麻子といいこの好子といい、最近離婚の相談が増えていることを懸念していた。まずは考え直すように話し、その後に具体的なことに入ってゆくようにしていた。
「お話は聞かせていただきました。今一度お伺いしますが、ご主人が反省をし考え方を変えられれば、思いとどまるご意志はありますか?」
作品名:「哀の川」 第六章 直樹の独立 作家名:てっしゅう