よそ者
アイは栄一の顔を見るなり「嬉しい」と言って抱きついてきた。頬がまだ赤かった。栄一は思い切りアイを抱きしめた。
「あっ……」
アイは喘ぎ声にも似たため息を漏らした。その声を聞いて、栄一は言った。
「一緒に逃げよう……」
「えっ?」
「親父さんから逃げるんだよ」
「お父さんを知っているの?」
アイは栄一から身体を少し離し、怪訝な顔で覗き込む。
「まあね」
「駄目よ。お父さんの借金を返しているの……。それにお父さんは私がいないと駄目なの……」
「君の人生だろう?」
栄一は語気を強めた。だが、アイは伏目がちに首を左右に振る。
「俺は昔、ボクサーだったんだ。喧嘩をやっちまってね。相手に大怪我をさせて、ボクシング界からは永久追放さ。ニュースや新聞にも載った。人は誰も重い物を背負っているが、それを脱ぎ捨てる勇気も必要なんだ」
そう説得する栄一の瞳を、アイは恐る恐る見た。栄一の瞳は力強く、気迫に満ちていた。
「ああっ、抱いて。何も言わずに抱いて!」
アイは栄一の懐に飛び込み、むせび泣いた。栄一はただ、アイを受け止めるしかなかった。ただ、いつか自分の誠意がアイに伝わると、心の片隅で信じていた。
夕方、恵理子は天ぷらを揚げていた。横田が釣ったハゼの天ぷらである。はらわた取りなどの下処理は横田が行った。
揚げたてのハゼの天ぷらを肴に、恵理子と横田は酒を酌み交わしていた。
「やはり、ハゼの天ぷらは格別だな」
横田がしみじみと言う。ハゼは天つゆではなく、塩で食べる。新鮮なハゼはそれが美味い。
「本当、おじさんのお陰……」
「いやいや、儂じゃあ、天ぷらなど揚げ物はできんよ。あんたのお陰だ」
横田が恵理子に酒を注いだ。恵理子はそれをグイと仰いだ。男勝りの飲みっぷりである。
「儂にはこんな楽しみしかない……」
横田が箸を置いた。そして、深くため息をつく。
「あんたに言うことじゃないかもしれんが……、先週、福祉事務所の役人が来てな。九州にいる娘に連絡を取ったらしい」
「それで?」
「今更援助はできないと断られたそうだ……。まあ、別れた妻にも娘にも随分迷惑をかけているからな」
「そう……」
恵理子は黙って横田の話を聞いていた。横田の顔は既に赤かったが、気はまともなようだった。恵理子が聞きもしないのに、横田は続けた。