よそ者
横田の醸しだす朗らかな雰囲気もあるのだろう、恵理子にはここのところのスナックでの嫌なことを忘れさせてくれるひとときだった。
海鳥がギャーギャーと鳴いていた。
栄一もまた買い物を済ませ、飯場に戻るところであった。栄一の飯場は小さな沢筋の道路を上った、旧道の出合いにある。車がなければかなり不便な場所なのだが、栄一をはじめ、飯場のほとんどの者は車を持ってはおらず、日常を歩いて移動していた。
沢筋の道の途中、町営住宅がある。それはかなり傷みが激しく、いつ何時、崩れ落ちても不思議ではないくらい老朽化が進んでいた。家賃が月額千円からというのも頷ける話である。
栄一が町営住宅の脇を通りかかった時、男の罵声が聞こえてきた。
「さっさと働いて酒代稼いできやがれ!」
続いて「バシッ!」という乾いた音が響いた。人を叩く時の音だ。栄一はその罵声の主をどこかで聞いたような気がして足を止めた。
すると古ぼけた扉から一人の若い女が出てきた。
「あっ、アイ!」
思わず栄一は叫んだが、町営住宅まではいささか距離があり、その声は届かなかっただろう。
アイは家の前で頬を押さえ、うずくまっている。すると、家から男が出てきた。その男を見て栄一は「あっ!」とまた叫ぶ。その男こそ、先日スナックで栄一が殴った楠本だったのである。
楠本はアイの髪を引っ張ると、怒鳴った。
「おら愛子、さっさと仕事場に行けよ。ソープへよ。男手一つで育ててやったんだ。恩を返しやがれってんだ!」
すると楠本はアイの背中を蹴り飛ばし、家の中へと消えた。
栄一の瞳に殺気が宿った。瞳だけではなかった。殺気のオーラは全身から噴出し、周囲の空間を歪めるほどであった。だが、そこに人通りはなく、栄一の殺気に気付くものはいなかった。
アイはそこからのっそりと動き出したが、沢筋の橋の袂でまたうずくまってしまった。
栄一は頭を左右に振ると、ゆっくりと歩き出した。その背中にはまだ殺気を背負ったままだ。栄一の足元に醜い毛虫が一匹、這っていた。栄一は殺気を足裏に込めて、毛虫を踏み潰した。そしてまた、ゆっくりと歩き出す。もう、殺気は消えていた。
その日、栄一はソープランドへ足を向けた。財布にそれほど余裕があったわけではない。それでも行って、アイを指名せずにはいられなかった。