蜘蛛ヶ淵
美由紀は大蜘蛛に寄り添うよりも、道元の首を絞めることに意識を注ぐ。もはや道元を大蜘蛛の餌にすることなどどうでもよかった。美由紀には大蜘蛛を助けたいという考えしか頭に浮かばなかったのだ。美由紀と大蜘蛛はそれなりの関係であった。しかし、道元は読経を止めない。
もう少しで美由紀の掌が道元の喉元を掴むところだった。
「見られよ!」
道元が勝ち誇ったような顔をして叫んだ。咄嗟に美由紀が振り向く。そこには大蜘蛛が八本の足を縮めて倒れていた。
「あ、あんたー!」
美由紀は大蜘蛛に駆け寄った。そして、愛しそうにその身体を撫でると、大粒の涙を流す。谷間に美由紀の嗚咽が響き渡った。
「どうじゃ。霊能力者をナメるからこういう目に遭うんじゃ。妖怪は退治してやったわ。これで儂にまた箔が付くというもんじゃ」
美由紀が道元をキッと睨んだ。その頬からは涙の帯が大蜘蛛の上へと滴り落ちている。まるで、美由紀の身体の中の水分が全部抜けてしまうのではないかと思うくらいに。
その時、大蜘蛛の脚がピクリと動いた。大蜘蛛の身体からシューシューと湯気が上がる。
「あんた!」
湯気は周囲を包み込み、道元の姿も見えなくなった。
湯気の霧が晴れたのは、上流から爽やかな風が吹いてからのことである。その風は湯気を徐々に吹き飛ばしていった。すると、大蜘蛛のいたところに一人の青年が倒れているではないか。青年の背中には千切れた呪符が貼られており、「尊仏天誅」と書かれていた。
「う、うーむ」
青年が身を起こした。
「あんた、あの蜘蛛かい?」
「ああ、そうだ。秦野の清吉って名前だ。美由紀、済まなかったな」
「よかったね、人間の姿に戻れたんだね」
「美由紀の涙のお陰だよ」
美由紀が清吉の肩を抱き、その身体を起こす。道元は狐につままれたような顔をしている。
「これは何と奇っ怪な。しかし、お前らが人であるなら、犯罪者じゃ。下にいるスタッフたちに知らせねば。妖怪退治番組が犯罪捜査番組になってしまったがの」
道元が下衆な笑いを浮かべた。
「そうはさせない!」
川下の行く手を清吉と美由紀が遮った。
「俺たちの秘密を知ったからには生きて帰れると思うな!」
清吉は着物の懐から刃を取り出した。おそらく大蜘蛛になる前に持っていたものであろう。
「美由紀は命懸けで俺を守ってくれた。今度は俺が命懸けで美由紀と俺の幸せを守る!」