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蜘蛛ヶ淵

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 道元は何とも生臭坊主ではないか。よく見れば道元の額は脂が浮いたようにてかっており、顔の血色も良い。普段より飽食しているのであろう、腹はでっぷりと肥えている。
 取材陣一行はサーサーとそよぐ沢の音を聞き付けた。それは大分前から聞こえていたのだが、音が近くなったような気がしたのだ。
「おお、喉が乾いたな。丹沢の水は美味いと聞く。沢へ下ろう」
 道元はまるでハイキング気取りである。
「あの、沢に降りるならこちらです」
 後ろの茂みから突如として女が現れた。美由紀である。
「おお、こんなところで女性が一人、何をしているんだね?」
 美由紀のことを不審に思うのも無理はなかろう。スタッフの一人が美由紀に問いただすように尋ねた。
「ちょっと、野宿しながら野生動物の観察をしていますの。ところでそちらは道元先生じゃございません?」
「おお、儂はいかにも道元じゃが」
 道元は美由紀の身体をなめ回すように眺めた。
「道元先生のような高名な方をご案内できるなんて光栄ですわ」
「儂もあんたのような美人に案内してもらって嬉しいわい」
 道元の口元が緩んだ。その瞳は極めて厭らしい。道元も聖職者であるならば気付かねばならなかった。美由紀の妖しい瞳の裏側にある企みを。だが、道元は率先して美由紀の後を追ったのである。仕方なくスタッフたちも後に続くことになる。
 確かに美由紀はこの辺りの地形を熟知していた。普通、山道から沢に下るのは危険とされている。それは沢筋が切り立った崖になっている場合も多く、遭難例が数多く報告されているからに他ならない。しかし、美由紀は安全な獣道を通り、沢まで取材陣を導いたのである。
「それにしても美味い水だなあ」
 スタッフたちも沢の水に舌鼓を打っている。
「ところであんたは野生動物の観察をしていると言っておったが、この近くにキャンプでもしているのか?」
 道元が興味深そうに美由紀に尋ねた。
「ええ、この上流の淵のほとりでテントを張っていますの。よかったらご案内いたしますわ」
「そうか。では、ちょっくら覗かせてもらおうかの。ああ、みんなはここで待っていてよい。すぐに戻るから」
作品名:蜘蛛ヶ淵 作家名:栗原 峰幸