蜘蛛ヶ淵
「信じられねえも何もねえだろう。現に俺はこうして蜘蛛の姿になっているんだ。お陰で俺は畜生を襲って生きなきゃならねえ。そういう俺が畜生よ。それでも生きてえと思うんだから不思議よな」
大蜘蛛は嘲るように笑った。それはどこか自嘲的であったが、決して悲観的ではなかった。どこか生きる強さを言葉の中に秘めていた。
「なるほど、生きたがり屋と死にたがり屋ね」
納得したように美由紀が呟いた。美由紀にとって、大蜘蛛はまだ恐るべき存在ではあったが、その前身が人であることがわかり、少しは落ち着いたようだ。こうして見ると二人はまるで、美女と野獣ではないか。
「どうだ、お前さんの命を俺に預ける気はないか?」
大蜘蛛が一歩、美由紀に近寄ってコソッと呟いた。
「預ける?」
「そうとも、俺も餌の確保には困っているんだ。意味がわかるか?」
大蜘蛛は更に顔を近づける。生臭い息が美由紀に吐き掛けられた。だが、美由紀はなぜかそれにゾクゾクするものを感じた。体の中を血液が巡る。先程まで、血液という血液が活動を停止していたかのようであったのに、今は活き活きとしているではないか。
「それって、人をおびき寄せろということでしょ?」
「さすがは俺が見込んだ女だけのことはある」
「私も人には恨みがあるのよ」
美由紀の目は妖しく燃えていた。その妖しいまでの眼力は大蜘蛛を信用させるに十分であったし、忌ま忌ましいまでの記憶をすべて憎悪にして映しているかのようだ。美由紀の活動は今、負のベクトルから正のそれへと転換されようとしていた。
その日、高杉道元の一行はテレビ取材のため、丹沢を訪れていた。高杉道元は今をときめく霊能力者であり、長念寺の住職である。だが、その霊能力は疑わしいとの声もあり、やたらマスコミと迎合する姿に違和感を覚える者も少なくなかったのである。
「先生、この辺りで妖怪が出るとのもっぱらの噂ですが」
「妖怪だろうが、悪霊だろうが儂の手にかかれば一捻りじゃ。がははは」
道元の高笑いが谷間に響いた。どうやら、妖怪の噂を聞き付けての取材らしい。スタッフは重い機材を抱えながらも、けなげにも山道を歩いていた。一方、道元はナップザック一つと身軽だ。
「それより、今日の撮影を終えたら一杯やろう。そのくらい局から予算は出るじゃろう。儂は魚より肉の方が好きなんじゃ」