爪つむ女
「座りませんか?」
そう女に言ってしまって、自分で焦った。
しかしその女は軽く微笑んで、なんの躊躇いもなく隣席に座った。
「もしかして私のこと、変な女だと思ってませんか?」
いきなりそう聞かれて、雄次は図星だと言いたかったが、流石にそうとは言えないので返事に困った。
「いや、でも、電車の中で爪をつむ人なんて初めて見ましたよ」
「うふふ…やっぱりそう思ってたんですね。でもちゃんと理由があるんですよ」
女はいかにも愉快そうに、そう言って笑った。
そしてすぐに不思議そうな顔をして、雄次の顔を覗き込んだ。
「あれっ? あなたも爪を『つむ』って言うんですね。もしかして田舎が近いのかしら?」
「俺は西の方ですよ。あなたは?」
「私も。山口なんですよ」
「へぇー山口? 偶然ですね。俺もそうなんです。あ、そうだ。良かったら今夜一緒に食事でもしませんか? ここで話したのも何かの縁だし、同郷のよしみで」
その時雄次が見せた人懐っこい笑顔は、十分に和江の気持ちを動かした。
「そうですね、私も今夜は特に予定もないので」
「じゃあ決まりだな。その時に、電車内で爪をつむ理由も教えてもらわなくっちゃね」
「ああ、それね。いいですよ」
「じゃあ仕事が終わったらここに電話してくれますか?」
雄次は胸ポケットから出した名刺入れから自分の名刺を一枚抜いて、その女に渡した。
「そこに書いてある携帯の番号は俺の携帯ですから。そこに」
「わかりました。雄次さんていうんですね。私は和江です」
「和江さん……。あ、次で降りるので……電話待ってますよ」
「ええ」
折悪しく、下車駅のアナウンスが流れた雄次は急いで席を立つと、出口に向かいながら軽く和江に手を振った。
和江も軽く微笑みながら、胸の辺りで小さく手を振り返した。
都会では偶然の出会いなんてよくありそうだが、その実、20代くらいの若者ならいざ知らず、二人の年齢ではそうそうあることではない。
この時は二人とも、滅多にない出会いに少し胸が高鳴る思いがしていた。
和江はその夜が楽しみであり、雄次は、和江が本当に電話してくれるだろうかと、少し不安でもあったのだが。