黄金の秘峰 上巻
自分が今気付いた事を、早く皆に同意して貰いたかった。
「兄貴、今日は怒らずに小松幸一個人として一緒に聞いて。出来れば健さんの知人として好意的に判断して欲しい」
「なんだい、その好意的な判断とは?」
「まあ、いいや。兎も角、真相究明という姿勢で頼むよ」
「ああ、判った」
「今、ツラツラ考えてみたんだけと、健さんが口にした工場拡張資金の必要額の質問、これは多分に健さんの独り言だと思うが、それと近い内にそれを実現するという言葉を、山入りに夢中になった事実と結び付けて考えてみると、結局、山とカネ、つまり金鉱か何かを発見したと思うんだ」
聞いていた三人は、互いに顔を見合わせた。
金鉱発見とは全く予想外の話である。
孝一は薄ら笑いをしている。
譲次は兄の表情を見て、口を尖らせた。
「不幸にして二人は事故で亡くなったけど、これが単なる空想か、或いは事実か、二人の記録とでも言うべき物を調べれば、たちどころにハッキリするんじゃないかな。ところで、健さんの部屋はそのまま?」
「ええ、手を付けてません。母がうるさいものですから」
佐和子は答えた。
京子が立った。
「私、ちょっと見て来るわ」
「俺も手伝うよ」
譲次も席を立った、
居間に残った幸一と佐和子が共に茶を啜った。
庭の立ち木では、頻りにヒヨドリが啼いている。
「佐和ちゃん、今、譲次が言っていた健さんの言葉だけど、近い内に工場拡張をするという言い方だったの?」
「ええ、確かそうでしたわ」
「言葉のイメージからして、極く近い将来という事だから、金鉱発見による鉱山事業とは時間的に結び付きにくいな。それに、今更この界隈で金鉱というのもね。永い年月に殆ど掘り尽くされている筈だし」
暫くして譲次と京子が戻って来た。手には何も持っておらず、記録発見は失敗らしい。
「駄目だった」
そう言って、譲次が乱暴にソファーに腰を落とした。
「佐和ちゃん、天井裏見て良いかな?」
譲次は諦めない。
自分の経験から天井裏は必見の隠し場所と思えた。
「天井裏?煤だらけでしょうが、どうぞ」
「よーし、京ちゃん、一緒に来てよ」
再度、健一郎の部屋に入った譲次は、八畳間の四隅の天井板を見上げていたが、ヨシッと言うと、一隅の鴨居に手を掛け、懸垂でアッと言う間によじ登ると天井板と鴨居を利用して、平蜘蛛の様にへばり付いた。
見ていた京子はその身軽さに呆れた。
隅の天井板の一枚を押し上げると、四角い暗闇の中へスルスルッと姿を消した。
まるで忍者である。
暫く天井裏をゴソゴソやっている様子だったが、
「あった!」
という叫び声が聞こえて来た。
先ほどの四角い穴から、真っ黒に汚れた靴下が現れたかと思うと、殆ど音も立てずに、畳の上に降り立った。
手には薄い茶封筒を持っている。 「譲次って、随分身が軽いのね。まるで忍者みたい」 「忍者はよかったな、あははは。子供の頃から運動神経は良い方だよ。もっとも、兄貴には叶わないけどね」
縁側で煤を払うと、二人は居間に戻った。
「こんな封筒を見付けたよ」
譲次はそれをテーブルの上に置く。
紐付き封筒である。
「開けていい?」
譲次は紐に手を掛けながら、二人の姉妹に聞いた。
二人共、早く中身が見たいらしく、返事が口に出ず、頻りに頷いている。
中身を引き出すと、それはセロテープで貼り合わせた掛け軸の絵のコピーだった。
独特のタッチながら描かれた山や谷は此れと言った特徴もなく、有り触れた山水の水墨画といった感じである。
四人共、美術品の類には無縁とあって、只、フーンと言うだけである。
わざわざコピーを取って保管する程の理由が判らない。
まして、当面の問題である惣吉、健一郎親子の山通いとの関連も判らない。
譲次の想像する金鉱説にも,いささか縁遠いものと思われる。
暫く眺めていたが、京子が余白に書き込まれた変体仮名を拾い読みし始めた。苦労していたが、どうにか全文字が解読出来た。
「さすが、高校卒業まで書道教室に通っただけの事はあるな」
譲次がお世辞を言う。
たちならふかひこそなけれさくらはなまつにちとせのいろはならはて
読み下せたものの、一同サッパリ意味が判らない。
京子が口の中でモグモグ言っていたが、突然、素っ頓狂な声で言った。
「これって、和歌よ!だって、文字数が三十一じゃない」
和歌と聞いて、譲次は何か引っ掛かるものを感じた。
(そうだ。普通見掛ける水墨画は、大抵漢詩が書き込まれている。ひらがなを書き込んだ水墨画はこれまで見た記憶がない。何か意味ありげな和歌だな。・・・しかし、これと睨めっこしていても埒が開かないので、母親に聞いてみたらどうかな?)
「佐和ちゃん、お母さんなら、何か知ってるんじゃないかな?」
佐和子は顔を上げ、譲次を恨めしげに見た。
「でも、状態が状態ですから」
「全然、駄目なの?」
「ええ、口を閉じたままなんです」
「ご主人と息子さんを失くしたんだから、無理もないよ」
幸一が口を開いた。
暫くして、譲次は席を立ちながら、言った。
「じゃ、佐和ちゃん。お母さんから時間を掛けても聞き出してみて。何か知ってると思うんだ」
「判りました。やってみます」
佐和子が答えた。
小松兄弟は多田姉妹に別れを告げ、酒造屋の豪壮な構えの屋敷を後にした。
ヒヨドリが一頻りけたたましく啼いた。
譲次の頭の中は意味不明の和歌で占められていた。
数日して、幸一から会社に電話が入った。
余程急いでいたと見える。
聞けば、佐和子の努力で母親の久美が漸く口を開き、例のコピーの件で興味ある話を語ったと言う。詳しくは、佐和子から直接聞いた方がよかろうと、今夜にでも電話するようにと言って、切った。
其の夜、譲次は遅く帰宅したが多田家に電話した。
佐和子が電話口に出た。
アルコールでも入っているのか、先日とは違って軽快な話し振りだった。
久美の話の内容とは次の様なものだった。
終戦直後、物資の不足していた頃の或る日、多田家の門前で一人の男が行き倒れた。何やら病に罹り、其の上、ひどい栄養失調で介抱する暇もなく、息を引き取ってしまった。
男が死ぬ直前に祖母のチサに渡したのは、木箱に入った掛け軸だった。
自分に呉れたものやら、或いは誰かに手渡す様に頼まれたものやら、男の声が小さく、かすれていてハッキリ聞き取れなかった為、処分に困った。
兎も角、遺体は近くの寺に頼んで無縁仏として弔って貰い、木箱と掛け軸は預かることにした。
(となると、オリジナルの掛け軸はどこへ消えたか?)
譲次は考える。
佐和子の話はまだ続く。
大恋愛の末結ばれた惣吉と久美だったが、いつの頃からか夫の惣吉が柄に似合わせず登山を楽しむ様になった。
否、楽しむと言うより、何かに憑かれた様に休み毎に山登りだと言って、家を出て行く。帰宅時の様子から矢張り山登りだったと判る。
其の内に平日でも仕事をよそに山へ行くと言って、出掛ける様になった。そして、或る日、夜になっても帰らず、大騒ぎとなった。