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南 総太郎
南 総太郎
novelistID. 32770
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黄金の秘峰 上巻

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ふと、人馬の音に南方を見遣れば、既に笛吹川に沿う雁坂道を織
田の兵達が続々と押し寄せて来るのが目に入る。
一瞬戦慄が全身を走る。
手にした手拭いをぐっと握り締めた。
(信長の気違いめ、いずれ仏罰を受けようぞ)
 身内に激しい怒りが込み上げて来る。
 眼下には田植えを終えたばかりの瑞々しい青田が広がり、其処此処で頻りに蛙が鳴き競っている。
 いつも通りの長閑な甲斐の田園風景であった。

第一章  疑念
   
 平成七年(西暦一九九五年)
小松譲次にとって久し振りの山登りだった。
甲府駅のキオスクで買ったカップ入り清酒一本ですっかり眠り込
み下車駅の八王子を通り過ぎてしまった。
気付いた時には電車が新宿駅のホームに滑り込んでいた。
金曜日の夕方の新宿駅構内はごった返している。
地下道を歩きながら考えた。
(夕暮れ時の独身男の部屋は侘しい。急いで帰りたい場所でもない。それに今来た道を引き返すのが億劫である。平日だから京子の店も、そろそろ開店の時刻だろう)
 そうと決まると、足早に中央線ホームへの階段を駆け上り、丁度入って来た東京行きの快速に飛び乗った。
東京駅構内も同様に混雑を極めている。
背負ったバッグがカメラケースや三脚で角張っているので、行き
交う人に当たりはせぬかと気遣いながら山手線に乗り換え、新橋駅で下りた。
並木通りを有楽町方面に歩きながら、自分の格好が周囲に馴染ま
ないのが気になった。
有給休暇を取ってはいても幾分の後ろめたさを覚え、会社の同僚
にでも遭いはせぬかと気懸かりだった。
既に会社帰りのサラリーマン姿がチラホラしている。
(俺も古いな) 
と、腹の中で苦笑しながら煉瓦造りの雑居ビルの前に立った。
建物の角には十数枚のプラスチックの看板が所狭しと取り付けら
れ、その大半に灯りが入っている。
「京」と書かれた白い看板も点っているのを確認すると、ビルの入り口から一台だけの小さなエレベータに向かった。
六階のボタンを押しかけた時、
「済みませーん!」
の甲高い声と共に、数人の女達が賑やかにエレベータに乗り込んで来た。 
譲次は女達の顔を一瞥した。
顔見知りが一人いた。
女に目で挨拶されて、譲次は慌てて会釈した。
以前「京」にいた女だ。
エレベータが止まり、その女が先ず降りた。
通路の一番手前のドアを開けながらこちらを振り返る。
閉まるエレベータドアの隙間から女の微笑むのが見えた。
(一度覗いてみようか)
 そう思っている内にエレベータは譲次一人になった。
 六階で降りると廊下の一番奥のドアの前に立った。
 足元に小さな箱看板が置いてある。
 何の変哲もない白いプラスチック製の箱に電灯が点り、「京」と書いてある。
 十四、五人ほど収容できる明るい店内にはまだ客の姿はなく、ママの京子がカウンターの奥で何やら準備の最中である。
 ドアの開く音に振り向いた京子は、いつもと違う譲次の登山姿に、
「あらっ!」
と言って手を休め、カウンター越しに譲次を迎えた。
「今日は、まだ一人?」
 止り木に腰掛けながら、譲次は京子の健康そうな丸顔を見詰める。
「ええ、ケンちゃんが風邪ひいちゃって、今日はお休みなのよ」
 ケンちゃんとは、この店の唯一人のバーテンダーで、気の良い痩せた青年だが、風邪をひいてよく休む。    
「ああ、そう」
 そう言いながら、タバコを取り出す譲次の前に京子がすかさずライターの火を突き出す。
「サンキュ」
 と言って火に顔を寄せる。
 京子のふくよかな白い指に、豪華なダイヤの指輪が光っている。
 優に五カラットはありそうだ。
「何処へ登って来たの?」
 ライターの蓋を鳴らしながら京子が言った。
「増富温泉から金山平経由で金峰に登り、水晶峠を通って金桜神社に下りたよ」
「いい写真とれた?」
「うん、まあまあ」
「今頃は増富辺りの紅葉も盛りでしょうね」
「うん、通仙峡沿いは今が最高だね」
「あたしも行ってみたいわ」
「甲府の高校時代は、みんなでアチコチよく登ったね」
「譲次が部長だった頃が、おそらく登山部の隆盛期だったんじゃないかしら」
「時代も変わって若い人の遊びが増えたからな」
「あら、年寄りじみた事言っちゃって。三十ちょっとのバリバリの商社マンの台詞かしら。そろそろお嫁さんでも貰ったら」
 京子はやや大振りのグラスを譲次の前に置くと、ビール壜の栓を抜いて注ぎ込んだ。
「サンキュ」
と言って、譲次は一気に飲み干した。
 多少下地が入っているせいか、酔いが忽ち全身に回る。
 二日掛かりで山を歩いた足は心地よい痺れすら感じる。
 今回のコースを回想しながら、ふと思った。
(金峰の岩稜の写り具合は、どうだったかな?)
「あっ、そうだ。帰りに実家に寄ったら、お袋が干し柿をいっぱい呉れたんで、少し置いてくよ」
「あら、有難う。昔、軒先の生干しのをよく取って食べたわ」
「小学生の時京ちゃんの家の蔵の裏手で友達と失敬したのを健さんに見付かってひどく叱られたよ」
「そんなことがあったの」
「あれ以来、健さんは苦手だったよ。でも、高校二年の時白馬に登ったろ。あの時東京の大学にいた健さんがOBとして特別参加していろいろ親切に指導して呉れてから、良い人だと判ったんだ」
 気が付けば京子が淋しげな表情に変わっている。
「兄も生きていれば、譲次と山登りを楽しんでいたでしょうに」
 譲次は急に酔いの醒めるのを覚えた。
 健一郎は五年程前、山に入ったきり帰宅せず、家族からの捜索願で警察、消防団が八方手を尽くして捜索したが、未だに行方不明の侭である。
 譲次は話題を変えた。
「ところで、京ちゃん。以前この店にいた、京ちゃんが馘にしたとかいう子。エレベータで一緒だったけど、同じビルの店に勤めているんだね」
「ああ、珠美ね。彼女、今では立派なママよ」
「えっ、ママ?」
「なんでも、パトロンを見付けたとかで。極く最近の話だけど。まるで、これ見よがしに、このビルの三階のお店を買い取ってさ。噂では余り客種が良くないそうよ。なにせ、パトロンがその筋の人とかで」
「その筋って、ヤクザか何か?」
「そう。でも表向きはコウブケンセツとかいう土建会社の専務さんらしいわ」
「コウブ。変な名前だなあ。甲斐と武蔵の甲武かな」
「さあ、どうかしら。そこまでは判らないけど」
「そうかあ。一度覗いてみようかと思ったけど、やめとこう」
「そうねえ。うちの方が、安心じゃなーい」
「あははは、そうだね。この店なら、安サラリーマンしか来ないもんなあ」
「あら、他のお客さんが聞いたら怒るわよ」
 店内は相変わらず二人きりである。まだバーやクラブの時間には早過ぎる。あと二時間も経てば、この店も満杯になるだろう。
「さて、家へ帰って風呂でも入るか」
「あら、もう帰るの。そろそろ女の子達も来るわよ。それにこれから八王子まではお腹がもたないでしょう。どうせ、その辺で食べるんだったら、急いで何か作るわ」
 京子は慌ててカウンターの奥に向かった。
 酒を飲ませる店だから大した物は期待出来ないが、これまで何度か食わせて貰った。
 暫くして、旨そうなオムライスが目の前に現れた。
 譲次は腹の鳴るのを抑えられなかった。
作品名:黄金の秘峰 上巻 作家名:南 総太郎