黄金の秘峰 上巻
「ああ、あいつは良い所だって言ってたよ」
「住んでみなければ、分からない事ってあるんでしょうね」
「そうだろうな。我々が知ってる香港なんて、ほんの上っ面だけだろうからな。あいつは現地に住んでいたんで、色々と見聞を広めることも出来たろうし。矢張り、現地の人との接触を多くしなきゃ、何事もほんとの事は分からないんだろうな。刑事の仕事と似てると思うよ」
「そうでしょうね。私としては、たとえツアーでもいいから一度香港へ行ってみたいわ。譲次さんが一体どんな所でどんな生活していたのか見てみたいもの」
「あいつの香港生活か、何処へ行ってもあいつの事だから余り変わり映えしないんじゃないかな。飲んだくれてばっかりいて」
「案外しっかりした生活態度じゃないのかしら?」
「どうだかね」
第五章 三十一文字
その後、譲次の和歌の謎解きは少しづつ進んでいた。
進むにつれて、柳沢峠埋蔵分は矢張り本命ではなく、言わば偽装、カムフラージュのような存在であるとの考えが固まっていった。
当時の武田領を囲む諸大名の思惑、それに対応する信玄、参謀等の知恵比べから総合判断して、巨額の埋蔵金は山梨県と長野県の境界付近にあると推断した。
しかし、境界と言っても山梨(甲斐)、埼玉(武蔵)、長野(信濃)の三県に跨る名前どおりの甲武信岳から始まって北奥千丈岳、金峰山等の秩父山塊を経て八ケ岳の主峰赤岳、更には南アルプスの甲斐駒ケ岳、仙丈岳、三峰岳と凡そ百キロの長大な距離となり、これを隈なく探索することは先ず不可能としか言い様がない。
当初、例の和歌の「甲斐こそ無けれ」が、余りにも直接的な表現のため、果たして、これが埋蔵場所を示すものかどうか疑わしくなることもあったが、それでは何故絵図面にわざわざ書き込まれているのか訳が判らなくなってしまう。
譲次は、矢張りこの和歌の中には更に具体的に埋蔵場所を示す暗号が必ず隠されているに違いないと考え直すのであった。
たちならふ
かひこそなけれ
さくらはな
まつにちとせの
いろはならはて
和歌はこの様に三十一文字を五、七、五、七、七に区分することが出来る。
この内、「かひこそなけれ」は、「甲斐こそ無けれ」即ち、「甲斐にこそ無い」と解釈済みである。
この和歌を書き直して字面通り解釈するならば、
立ち並ぶ甲斐こそ無けれ桜花松に千年の色は習わで
「千年の色」とは「常緑」つまり「緑色」を意味しよう。
「習わで」は「習わずして」が縮まった形である。
つまり、「立ち並ぶ甲斐もないよ、桜花よ。松から常緑を教わらないで」と言ったところか?
譲次は「かひこそなけれ」以外の句の検討に移った。
繰り返し声を出して和歌を読んでいる内に「さく」に引っ掛かった。
「さく」といえば高校野球で活躍した「佐久高校」を連想する。
「佐久」とは何処か?
地図を拡げるまでもなく、山梨県に接する長野県側の郡名が、南佐久郡であることぐらい譲次は先刻承知している。
正確なところを地図で確かめて見ると、甲武信岳から八ヶ岳の主峰赤岳までが、南佐久郡と接していた。
これで、「さくらはな」の「さく」は「佐久」と解釈出来そうだが、では、残る「らはな」をどう解釈するか?
「らはな」を眺めていて、「はな」だけなら、「端」の意味があることに気付いた。
念のため、辞書を調べた。
「はな」には「鼻」「洟」「端」「花」「華」があり、「端」には、「はじめ」の意味で、「端からしくじる」と用いられ、今一つの意味「はし」は、「山端」のように用いられるとあった。
此の際、「ら」は無視してよかろうと考えた。
つまり、「佐久(ら)端」とすれば、「佐久の端」となる。
当時から、「佐久」と呼ばれた隣国信州の「端」(はし)に埋めたということになった。
これで、百キロがぐっと短縮され、四十キロ余りに縮まった。
それでも、まだ長過ぎる。
もう少し、場所が限定出来ぬものか?
次に、譲次は、上の句の冒頭「たちならふ」の解読に取り掛かっ
た。
種々熟慮してみたものの、「立ち並ぶ」という言葉からは、地理的には何ら暗号らしき解釈は出て来なかった。
譲次は、ふと、和歌には屡々複数の意味合いを持たせる遊び、つ
まり、歌の裏に別の意味を歌い込み、教養を競い、或いは間接的に自分の思いを表現することが屡々行われたという事を思い出した。
この場合も「たちならふ」が、「立ち並ぶ」ばかりでなく、他の言葉にも変り得るのではないかと。
そして、「たち」「ならはて=習わないで」から、「太刀習う」
の解釈が閃いた。
つまり、冒頭の句「たちならふ」を、「太刀習う」とすれば、
「太刀習ふ甲斐こそ無けれ桜花松に千年のいろは習わで」
となる。
こうなると、「桜花」は、只の「桜の花」ではなくなる。
ここで言う「桜花」とは、言うまでもなく「武士」であろう。
古来、武士は桜花の如くパッと咲いてパッと散る、潔さが尊ばれてきた。
又、「千年のいろは」は、「常に大切ないろは(学問)」を指そ
う。
従って、全体の意味は、
「武士と言えども剣術の稽古ばかりではなく常に大切な学問も身に
付けなければならぬ」
という事になろう。
因みに、信玄は常日頃から学問の重要性を力説していたという。
これにより、「たちならふ」の「たち」が「太刀」と読み取れる
ことが判った。次いで、「ならふ」が「習う」或いは「並ぶ」に読めるので、「太刀」と「並ぶ」を結んでみてはどうか?
「太刀並ぶ」
しかし、この様な形容に相応しい場所があろうか?
暫く地図を眺めていて、譲次はハッとした。
「瑞牆山」はどうか?
先日の金峰山の撮影時にも富士見平小屋から眺めたが、あの異様
な岩だらけの山は、日本国中捜しても群馬県の妙義山と二つだけと言われる。
角錐形の花崗岩から成る独特の山容を誇る山で、まさに、「刀」
か「剣」の喩えに相応しい場所である。
そこで、譲次は、これまでの解読の結果を並べてみた。
「瑞牆山のある甲斐にこそ無くて(実は信州の)佐久の端だよ」
これで、四十キロが更に短くなった。つまり、埋蔵場所は瑞牆山
からそれほど遠くない範囲に絞られた。
信州峠や北奥千丈ケ岳などはいずれも範疇外とみてよかろう。
残る問題は下の句の七、七の解読である。
これこそが、まさしく時価にして数千億円の金の延べ棒など、武
田の財宝が埋蔵された場所を教えて呉れている筈である。
下の句への挑戦が始まった。
「まつにちとせのいろはならはて」
即ち、
「松に千年の色は習わで」が何を意味するか?
「千年の色」とは、「緑色」のみでなく、「永遠の色」即ち「変わ
らぬ色=黄金色」と解せるのではないか?
つまり、「松に黄金色は習わないでも」の意味になる。
この松とは、植物の松で、松の木、松の葉だろうが、山中に生え
ている無数の松の木となると、余程の目印がないことには捜しようがない。或いは山頂近くに生える這松にしても、矢張り目印が必要である。
其の「目印」こそ「黄金色」であろう。
「黄金色」とは?
まさか、軍資金が山中や山頂に野晒しになっている訳はないので、