黄金の秘峰 上巻
広場は元の静けさに戻り、通行人は何事もなかったように通り過ぎて行く。
翌日早朝、出勤時でごった返すカウロン(九龍)側のスターフェリーの船着場を離れた大型フェリーが、丁度ビクトリア湾の中程に差し掛かった時である。
乗客の一人が大声を上げた。
「人間だ!人間が浮いている!」
其の叫び声に乗客達が一斉に海面に目を遣る。
反対側の乗客達も何事かと集まって来る。
さしもの大型フェリーも片側に傾く。
どこから流れて来たものやら、黒と黄の太い縦縞模様が強い潮の流れに乗って過ぎ去って行った。
同じ頃既に機中の人となった譲次は、帰国すると早速幸一に香港で得た甲武建設の噂を報告した。
「コウブだけでは、あの甲武建設かどうかハッキリしないが、別件で用事もあるし、一応当たってみよう」
幸一は部下の一人を連れて、甲武建設に乗り込んだ。
社長が二人も続けて死に、未だ後任の社長も決まらずバタバタしていることだろう。
幸一は事務所のガラス戸に書かれた社名を見て、おやっと思った。
堀田組と書かれている。
部屋を間違えたかと思ったが、ビルのロビーの名札では、甲武建設はこの部屋に間違いなかった。
おかしいと思いつつも、戸を開けて中を覗いた。
受付の女の子に聞くと、最近社名を変更したという。
ロビーの名札はまだ間に合わないので前の侭だと説明された。
誰か役員に会いたいと言うと、暫くして奥の方からひどく人相の悪い男を連れて来た。
出された名刺には取締役社長堀田勝弥と印刷されている。
(ほう、社長が決まったか。それにしても、随分と柄の悪そうな社長だな。これじゃ、まるで暴力団の事務所じゃないか。元へ戻ったとでも言うのか?)
堀田は、幸一の質問に薄ら笑いを浮かべていたが、結局、喋りだした。
五年程前、当時自分とは同格の幹部だった駒井文治が大仕事だと言って持ち込んで来たものが、何処で手に入れたものか知らないが、一枚の絵図面であった。組員は皆登山客の格好でリュックを背負い、青梅街道の柳沢峠から入った所で、数十億円の埋蔵金の掘り出しに成功した。
国内での処分は足が付くとかで、自家工場を準備してそこでゴルフクラブのヘッドに作り変えてゴルフツアーの形で香港へ運び出し、カネに換えた。それを何回も繰り返した。
堀田もそれ以上のことは知らないと言う。
詳しい事情を知っている筈の森山章夫が死に、駒井文治まで死んでしまっている現在、堀田の話はそれなりに貴重である。
駒井が専務へ出世出来たのも金の一件の活躍によると言っている。
(活躍とは健一郎を殺害して絵図面を奪い、甲武建設に数十億円の活動資金をもたらした功績を言うのだろうか?)
「ところで、駒井前社長の件だが、あんたどう思うかね?」
「どう思うって?」
「何故、森山未亡人に殺されたかという事をだよ?」
「さあ、何故だかね。未亡人の何か思い違いでしょ、きっと」
「トボケちゃ、困るな。駒井が森山を殺った犯人だからだろ」
「そんな筈ないでしょ。あの時、駒井社長は事務所にいましたからね」
「それじゃ、他に犯人がいるというのかね?」
「刑事さん、おかしな事を言わないで下さいよ。だって、森山さんは自殺じゃないですか」
「ところが、自殺に見せかけた他殺だったんだよ、実は」
「・・・」
堀田の反応には矛盾があるばかりか、表情にも僅かながら変化があったのを幸一は見逃さなかった。
「あんたは犯人を知ってるね?」
「い、いや・・・知りませんよ」
「あんたが殺ったのかね?」
「と、とんでもありませんよ。このあたしがやる訳ないでしょ」
「殺ったのは、あんたじゃないにしても、裏木戸はいつも通り厳重に鍵が掛けられていたとなると、犯人は内部の誰かということになるな」
「裏木戸だって、閉めっぱなしじゃありませんからね」
「おや、おかしいね。奥さんの話では、いつも鍵が掛けられていたというがね」
「いつだっだか、鍵が外れているのを見たことがありますよ。自分が掛けなおしたんですから間違いないですよ」
「ほう、矢張り鍵を外した人間がいると言う訳だな」
「そ、そんな事は言ってませんよ。掛け忘れただけでしょ」
「まあ、いいや。後日ゆっくり署の方で聞かせて貰うよ」
その言葉に、堀田は取り敢えずほっとした様子である。
急に元気が出たと見え、誇らしげにこう言った。
「刑事さん、社名変更と同時にウチは今年から大組織の一員になったので」
「そりゃ、どういう意味だね?広域暴力団の傘下に入ったから警察なんぞ怖くねえ、とでも言いたいのかね?奴らに根こそぎ持っていかれるだけだぞ」
「大きなお世話というものですよ」
「それもそうだ。折角駒井が埋蔵金で貯めたカネを奴らに横取りされるのも、あんたの勝手だからな、あははは」
堀田は嫌な顔をして、ガラス戸を乱暴に閉めた。
幸一は堀田とのやり取りで、
(犯人は十中八九、外部の、しかも甲武建設と関係のある人間だな)
と確信した。
帰宅して、譲次のアパートに電話した。
絵図面の埋蔵金が甲武建設に発掘されていた話を譲次に伝えた。
「兄貴、だから言ったろう。矢張り健さんは事故死じゃなく、殺されたんだよ。兄貴も段々そう思うようになったろう。俺は駒井とかいう死んだ男が臭いと思うよ。香港で甲武が金取引を始めたと聞いて柳沢峠での動きを思い出し、消えた掛け軸や健さんの死と結び付けてみたんだ」
「死人に口無しか。まあ、お前の言う通りかも知れん。健さんの失踪時期と駒井が絵図面を持ち込んだ時期が、どちらも五年前と時間的な一致が見られるし」
「そうなると、父親の惣吉さんは事故死という事になるのかな?」
「そういう事になるかもな」
電話を終わって、畳の上にごろりとなると新聞を拡げた。
毎日、新聞を拡げる度に、新しい事件が発生している。
何故、こうも沢山次から次へと犯罪が生まれて来るのか。
何時の頃からか分からぬが、日本人の質がかなり低下して来ているんじゃないかと思う。
戦後の欧米化の風潮が背景にあるのか、或いは教育の荒廃によるものか。
兎も角、正義感旺盛な幸一としては、犯罪記事を目にする都度、無性に情けないものを感じるのである。
新聞の一隅に目が止まった。
「おやおや。これは地元の人間だよ」
食後の片づけをしている頼子が聞く。
「どうしたの?」
「何ね、青木組と言う暴力団の組長が、香港で死体で見付かったって。組同士のイザコザが原因らしいって書いてあるけど、何も香港くんだりまで行って喧嘩することもあるまいにと思うけどね」
「ほんとね」
「いずれ県警には連絡が入っているだろうが。ところで、青木組って確か解散するってテレビで言ってなかったっけ」
「さあ、どうかしら?」
「確かそうだよ。えらく派手な柄の上着を着ていた記憶があるよ」
「ああ、そう言えば思い出したわ。黒と黄の縦縞の」
「そう。鉄道の「立ち入り禁止」みたいな柄だった」
「あの人が殺されたの?」
「うん、海に浮いていたんだって」
「まあ、ひどい!」
「香港じゃ、地元の暴力団もいるし。誰に殺されたか分からないんじゃないかな」
「物騒な所ね。でも、譲次さん。三年余りも住んでたんでしょう?」