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南 総太郎
南 総太郎
novelistID. 32770
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黄金の秘峰 上巻

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 当時、熱海から香港に本社を移したスーパーマーケットがこの建物を高額で買い取って香港の各紙の紙面を賑わした。
 そのスーパーは中国進出に積極的で香港のマスコミは社長をタイクーン(大君)ともてはやした。
 香港では金を稼ぐ人間が尊敬される。
 ところで、表の海側の窓からはビクトリア湾が一望出来て、殊に正月の花火大会の時などは、窓一杯に拡がる花火を満喫したものである。然し、これは残念ながら自室ではなく数階下のランドリー室であった。

 今回の香港出張は永年の取引先である食品メーカーの若社長が結婚すると言うので招待されたものだった。
 披露宴会場は郊外のシャーティン(沙田)駅傍の中華レストランである。
 開宴は五時と言うのに、昼過ぎから既に二、三百名の招待客が賑やかにマージャンを楽しんでいる。其の内食事が出て来て新郎新婦がお酌をして廻り、飲み終わった者から次第に退出し、何時の間にか「お開き」というスタイルは、相変わらずである。

 支店はカウロン側のチム・シャー・ツォイ(尖沙咀)のオフィス兼ショッピングセンターのビル内の十階にある。
 近隣には、シャングリラ、ロイヤル・グランド、日航、一寸足を伸ばせばリージェント、ヒルトン、ペニンシュラ、マンダリン等々、十指に余る一流ホテルが犇いている。
 そう言えば、某ホテルが日本の有名演歌歌手に買収された頃、新オーナーとエレベータの中で出遭ったことがある。新オーナーの披露を兼ねた招待パーティでもあったと見え、タキシードを着て幾分上気気味の彼は譲次と目が合うと、
「日本の方ですか?」
と聞いて来た。
「はい、そうです」
と答えると、彼は深々と頭を下げて、
「どうか、宜しくご贔屓の程を」
と言った。眉間の大きな黒子が印象的だった。
 最近テレビで見たが、その黒子は消えていた。
 その後も、日系デパートの食品売り場を西洋人の奥さんと小さな子供たちを連れて歩く彼を目撃したが、まさに家庭サービスに励むお父さんの健気な姿だった。

 さて、夕方ともなると、支店の向かいのビルの一階にあるナイトクラブ(夜総会)に派手なネオンが点り、早い時間から次々に自家用車、タクシーで客が乗り付ける。
 ホステス達の大方はフィリピンやタイからの若い女達である。
 暫くダンス等に興じた後、客の大半は気に入った女を連れて近くのホテルへ散って行く。一見してその種の女と判る筈だが、この界隈では一流ホテルさえも大目にみて、うるさく言わないと聞く。
 この手の商売は香港マフィアの手中にあり、拳銃、麻薬と並んで大きな利益をもたらしている。
 いわゆる、広東語で言うヘイサーホイ(黒社会)の世界である。
 香港マフィアと言えば、中国系のサムハップウイ(三合会)である。
 その歴史は古く十七世紀後半に福建省の某寺院でカンフーを武器とした僧たちの反政府集団として生まれたが、時代と共に秘密結社化したものだと言う。
 国民党時代の蒋介石とは関係も深く、彼自身もメンバーだったと聞く。
 このサムハップウイは和系、潮州系、一四K系他の十幾つかのグループに分かれるらしいが、メンバー総数は数十万名といわれる。
 若社長の話では日本のヤクザがこれ等と手を結び、麻薬、拳銃、女、買春ツアー等の取引をしていると言う。

翌日、若社長の招待でディスカバリー・ベイでゴルフを楽しんだ。久し振りに高速船で最寄の島へ渡り送迎バスに揺られてゴルフ場
の緑の起伏を眺めた時は、すっかり駐在時代の気分に戻っていた。
 何十回このコースに通ったか、其の割りには腕前が上がっていない。相変わらず九十前後である。
 香港もこうして市街地を離れると、緑豊かでゆったりした静かな土地があると分かり、香港の持つ喧騒と猥雑さが、極く一部分のイメージに過ぎないことを知らされるのである。
 香港には地理的だけではない色々な意味での、奥深さがある。
 シンガポールが飽きやすいのは、この奥深さがない為だと思う。

 プレイを終わり、貸しクラブを返して食堂に入った。
 食事をしながらのお喋りは中国人の得意とする処、例によって、話が香港マフィアに至った時、「ところで」と言って若社長が夜総会での目撃談をしてくれた。
 一、二年前の事だが、取引先の接待で夜総会に行った時、日本のヤクザらしい四、五人のグループが原因は分からないが店の中で暴れ始めたところ、当然ながら店の事務所から数名の香港マフィアが
現れ、香港と日本のマフィア同志の喧嘩を一部始終見物することになった。
 ところが、そこへ別のグループが登場して双方をなだめ、激しかった喧嘩が忽ち収まってしまった。
 その後からのグループが、どう見ても日本人だった。
 あれが、いわゆるY組かS連合会など日本の大規模な暴力団の一員だったのではなかろうかと言う。
 ホステスに暴れたグループの事を聞いたら、最近店に来ては何かと難癖を付けるヤクザで、名前をコウブと言っていたそうだ。
 コウブと聞いて、譲次は聞き直した。
「えっ、コウブ?」
「シュア、コウブ!」
コウブはあの甲武だろうか?
 更に若社長は話を続けた。
 コウブは現地の金扱い業者の仲間内でも新たな取引先として最近急速にその名を高めているらしい。
 何でも彼等が持ち込む金の純度が非常に高いらしい。
 金と聞いて譲次はハッとした。
 あの甲武建設に違いない。彼等の柳沢峠での不審な行動と香港の金扱い業者との取引を結び付けて考えれば、埋蔵金発掘と言う答えが出てくる。
 只、国内では地方の一土建業者に過ぎない甲武が海外にまで出向き、派手に動くには、上部の日本の暴力団にかなりの上納金を払ったのだろう。それは埋蔵金のお蔭と見て間違いなかろう。
 譲次は多田家に有った筈の山水画の掛け軸が見当たらない理由が判って来た。つまり、多田健一郎は矢張り事故死ではなく、甲武によって殺害されたと考えてよいのではなかろうか?
 同時に柳沢峠での梶原という私設秘書の存在も、宗田議員が埋蔵金と何らかの関係を持つことを意味しているのではなかろうか?

 帰りの高速船の中では、久し振りのラウンドで疲れたせいか、或いはビールの酔いのせいか、船の振動に眠気を誘われるままにすっかり寝入ってしまった。
 香港島の桟橋に着き、若社長に揺り起こされて目が覚めた。
 若社長はジャガーでホテルまで送って呉れ、強い握手をしながら、
「時々、遊びにおいでよ」
と言って帰って行った。
 気軽に言うが、そう簡単に香港へ来られるものではない。
 自分は一介のサラリーマンに過ぎず、若社長とは身分が違う。
 今回の出張でも同僚達から、官費旅行でゴルフが出来るとは結構なご身分だと、散々嫌味を言われて出て来たものだ。

 譲次がエレベータホールへ向かおうとした時、前に立ち塞がっている太い縦縞の上着に、オヤッと思った。
(何処かで見た気がするな)
 十階の部屋に入ってから思い出した。
(以前、テレビで見た上着だ。黒と黄の「近寄ると危険」のド派手な柄は、如何にも暴力団組長のおっさんと言った感じ。いや、待てよ。あの時のテレビでは廃業するとか言ってた筈だ。廃業して香港に観光旅行が出来るとは結構な話だ)
 譲次はそう思いながら浴室でシャワーを浴び始めた。
作品名:黄金の秘峰 上巻 作家名:南 総太郎