幽霊機関車
「ってことは、T町署?」
「そうです。必ず親父に仕返しをしに現れる筈です」
「そりゃ、ていへん(大変)だ。そうなったら、警察は大騒ぎだよ、無茶苦茶にぶっ壊される」
「ですから、すぐ連絡したほうがいいですよ」
「んー、連絡か。幽霊機関車が襲って来るってか。弱ったな」
H田巡査は当惑した面持ちで玄関に立っています。
私はH田巡査の困った表情を見詰めながら、自分も動悸の激しくなるのを感じました。警察署の建物が幽霊機関車によって、無茶苦茶に破壊される場面が目に浮かび、ふと思いました。
(当のゲンさんも同じ警察署の遺体安置室か何処かに保管されている筈ですが、ゲンさんの遺体も一緒に機関車に潰されるのでしょうか。焼かれた挙句、「馬捨て場」に捨てられ、今又、自分の機関車に潰されるのでは余りにも可哀想です。じゃ、自分の遺体はどのように扱うのでしょう?)
その点は、私にも判らないので考えるのをやめました。
ともかく、これで、幽霊機関車をこの目で確かめられる可能性が出てきました。
ただ、この寒さの中毎晩T町署界隈に張り込むのは私には難しいことです。警察署が仮に許してくれても、家族が許しません。
折角蒸気機関車を見られるチャンスが出てきたのに残念です。
なんとかしなくてはなりません。
それにしても、あの二つの原因不明の事故がゲンさんの死と繋がっていたとは驚きました。これで、謎の物体、つまり幽霊機関車が何故自動車や家を壊したかが判明しました。 「じゃ、僕は学校へ行きます」
そう言って駐在所の玄関を出て校門へ向かいました。
すでに一時間目の授業は始まっています。
また、あの担任の先生が廊下に立たせるでしょう。
今度は水をいれたバケツを持たされるかもしれません。
頬もつねられるでしょう。
でも、そんな小さなことはどうでもよいことです。
私は晴れ晴れとした気持ちで教室に向かいました。
その日の午後、集落のS寺の住職が外から帰ってきて何気なしに仁王門の中を見て、おやっと思った。
「あ」形の仁王が妙に黒ずんで見えるのだ。
念のため、「ん」形の仁王を覗いたが白茶けた朱色の肌が見える。
再び、「あ」形の仁王に近寄って調べていたが、
「わあ、こりゃ、何だ。仁王が黒焦げだわい」
そう叫んで石段を息を切らせて駆け上ると、玄関から居間へと飛び込み壁の黒い電話に飛びつき、ベルのハンドルをガリガリ回し始めた。 「お帰んなさい」
台所から出て来た奥さんが、住職の只ならぬ様子に
「どうなさったんや?」
と聞くが、それには答えず、
「もしもし、駐在所さんですか。こちらS寺ですが、仁王が火付けに遭いましてな、黒焦げなんですわ。至急来て貰えませんか」
H田巡査はこの乾燥期に火付けとは、たちが悪い犯罪と舌打ちしながら、今朝のT町署の署長との電話を思い出していた。
「馬鹿もん。何が緊急連絡だ。何処の世界に幽霊機関車が警察署を襲って来るなどという餓鬼の話を真に受ける奴があるか。卑しくも警察官の端くれなら、そんな馬鹿話をする餓鬼のケツば引っ叩いてやれ。馬鹿もん」
折角緊急事案と判断して、署長へ直接電話を入れた処、褒められる処か、馬鹿者呼ばわりされてしまった。
それで、すっかり落ち込んでいる処への電話だった。
「もしもし、駐在所さん、聞いているのかね?」
息を切らせながら、しきりと返事を催促している。
「はい、はい、判った。すぐ行くからよ」
巡査はそう言って電話を切った。
早速自転車を走らせてS寺に着いた。
仁王門の傍に住職が待っていた。
巡査は自転車から飛び降りると、
「どっちの仁王様?」
と門に近付いた。
「これ、この仁王です」
住職が指さす囲いの中に黒っぽい仁王様がカッと口を開いて突っ立っている。
体全体が黒い肌色の仁王様は,ひときわ迫力に満ち、巡査を睨み付けた。
彼はもう片方の仁王様を覗くと、
「なるほど、こっちは赤いな。これが普段の色か」
と独り言を呟いた。
もう一度、黒い仁王様に戻り、今度は顔を近付けて、指で表面を撫ぜた。指先が黒くなった。
「これは汚れでなく、炭だな。矢張り火付けか」
そう言って、薄暗い木の床に目を凝らした。
しかし、火を燃した様子はうかがえなかった。
「妙だな。床には火を燃やした形跡はねえな。これだけでっけい物を黒焦げにすんには、相当な火力がいるな」
住職も一緒になって調べていたが、同様に浮かぬ顔をして巡査の横顔を見詰めている。 「ともかく被害届を出してくれや。用紙はこれだ」
そう言って、巡査は自転車に跨った。
「なんと書けばいいんですかな?」
「仁王一体、全身火傷による損傷とでも」
「被害額はいくら位かな」
住職が独り言のように言うと、
耳聡い巡査は勘違いして、
「それはこっちの質問だ」
怒ったように言って、急いで帰って行った。
住職はその後姿に、フンと言うと石段をゆっくり登って行った。
H田巡査は駐在所への戻り道自転車を走らせながら考えた。
T町署の署長は事態の急迫していることが判らないので、あのように怒鳴っているが、自分はこのままじっと黙っていてはまずいのではなかろうか。
煩悶の結果、たとえ署長にどやされようと直接説得してみようと決意し、自転車をT町に向けて速度を上げた。
「叔父さん」
「ん?」
新聞を見ながら鼻毛を抜いている叔父が返事をします。
「笑わないで聞いて、ね」
「どうした?言ってみろや」