ハイビスカスに降る雪
ユキがリールのクラッチを切る。仕掛けは青い海に吸い込まれていく。餌である魚の切り身が、太陽の光を反射してキラキラと光った。
仕掛けを落とした途端、魚からの返事はすぐにやってきた。ゴツン、グググンと引き込まれる竿先。ユキが必死にリールを巻いた。だが、非力なのか魚の方がどうやら優勢のようだ。か細い腕は竿をためることで精一杯のようだ。やはり健治がユキを助ける。健治が竿を支え、ユキがリールを巻いた。船の上は暑かったが、ユキは汗一つかいていない。健治の汗がユキの白い肌の上に落ちた。健治は夢中で竿を支えているので気付かない。汗が結晶となっていくのを。
やがて上がってきた魚は先ほどより一回りほど大きいキビレハタだった。大きさにして五十センチはあるだろうか。
「やったね。高級魚を連続で釣り上げちゃったじゃないか」
「釣りって最高かも。ありがとうね」
「どういたしまして。喜んでもらえてよかったよ」
健治にとってユキの白い微笑みは太陽より眩しく感じられた。健治はこのまま時間が止まって欲しいと思う。このままユキとずっと一緒にいたかった。
「この根はどこの漁師も見つけていないと思う。君と僕の秘密の根だ」
「二人だけの秘密?」
「そう。漁師には人には言えない、自分だけの根があるもんさ。ここは君と僕だけの根だ」
健治が爽やかに笑った。健治は櫓を漕いでまた船を元の場所に戻す。
「さあ、もっと釣ってごらん」
健治は思った。人に魚を釣らせることがこんなに面白いものかと。健治はゆっくり櫓を練る。ユキに竿を委ね、船が根の上から動かないようにする。すると途端に竿が絞り込まれた。
「これは相当、魚影が濃いぞ!」
健治の顔がほころんだ。
港に第一徳治丸が帰港したのは空が茜色に染まってからだった。沖縄の夕日は茜と緋の中間のような色合いをしている。それは南の島に見られる独特の色合いなのだろうか。それとも、人の心にそう映るのだろうか。それはどちらかわからない。
オレンジ色の夕陽を映した水面が美しかった。その港の中を第一徳治丸が進む。第一徳治丸は大きな第二徳治丸の陰に隠れるように、防波堤へと接岸した。健治がもやいを結ぶ。そしてユキの手を引いた。籠からキビレハタやユカタハタなど、釣れた魚を降ろす。
「この魚、持っていきなよ」
「えっ、でも……」
ユキは戸惑っていた。
「せめて一匹だけでもさ」
作品名:ハイビスカスに降る雪 作家名:栗原 峰幸