潮風の街から
年中行事考≪お盆・2≫
子どもの頃はお盆というとなんとなく違った雰囲気を感じたものでした。
なによりも大人から「お盆は泳いじゃいけない。死んだ人に足を引っ張られるから」とまことしやかに言われ、絶対に泳いだりはしなかったものです。
もちろん迷信だと言うことは、ある程度大きくなれば子供心にもわかりましたが、やはり言いつけは守りました。死んだ人を迎えるのだから、浮かれていてはいけないという暗黙の了解だったのだと思います。
朝早くから、仏壇の掃除や飾り付け、お墓も掃除をして提灯を掛ける竹を建ててきます。
新盆の家は、玄関に太い青竹を井形に組んでそれぞれの先にススキや杉、シキミの枝を差し込んだものを飾ります。
普通の家は、仏壇とお墓の飾り付けだけです。
最近は実家もずいぶん簡素にしてしまいましたが、昔は仏壇の両脇に青竹を立て、節のところを斜めに切ってススキ、杉、シキミの枝をさし、竹の上部に提灯に見立てたホオズキの実をいくつか挟んだなわを渡すという、飾り付けをしていました。
地方によってはナスやきゅうりを馬に見立てたものをそなえますが、こちらではそれはせず、蓮の葉の上にカボチャ、ナス、きゅうり、うり、ササゲなどをのせて供えます。
そのほかくだものなど適宜供えて、いつもより賑やかにします。
このとき、位牌や仏具も磨いて綺麗にするのですが、子どもの頃、それがけっこう楽しかったように記憶しています。
とくに位牌を磨くときなどは、名前を見てこの人はどんな人だったのか、聞いてみたりしました。
もちろん母は嫁ですから、全員のことを知っているわけはないのですが、自分が聞いた限りのことを話してくれました。
女系家族で、父が跡をとる前までは代々婿養子を迎えていたとか。それで (ああ、だからあの家とは親戚なのか)と納得したり。
そうこうしながら綺麗にした位牌をならべ、仏壇の前に白い布を敷いてしつらえた小さな台に、これまた磨いて綺麗にした線香立てやろうそく立て、鐘などをならべ、ガラスのボールに水を張り、水引草を半紙で束ね、その花のほうを水の中に浸したものをのせて、準備完了となります。
お盆の3日間、朝昼晩と食事も供えます。このときお昼はそうめんと決まっているらしいです。
13日は早めに迎えに行きます。
本堂の前で提灯に火を入れ、お墓に持っていき、先に竹で作っておいた提灯掛けにつるします。お線香を供え、一人ずつおさごを蒔きます。
「おさご」というのは漢字で「小沙穀」と書くそうですが、お墓に向かって蒔くお米のことです。この散米は供物の一種とのことです。
婚家のほうでは、この散米はしません。日蓮宗だけなのかもしれないですね。ちなみに婚家は浄土宗です。
そして、提灯にともした火を仏壇に移し替えて、ご先祖さまを迎えたということになります。そのとき玄関先でオガラを燃して迎え火をたきます。
3日目の最後の日はゆっくりと遅くなってから送っていきます。火をつけていって、お墓で消して、帰ってきます。このときやはりオガラを燃して送り火となります。
お盆のあとも同じ街でも実家と婚家は違います。
婚家は翌16日にお墓も仏壇も片付けてしまいますが、実家のほうは仏壇は片付けますが、お墓は23日頃までそのままにしています。
さてまた子どもの頃にもどりますが、この後片付けの時の楽しみが、ホオズキを軟らかくして中身を出して笛にすることでした。
中身を綺麗に出し切って、皮だけにしてそれを口の中でしたであやつると音がするのです。それがやりたくて毎年挑戦したものです。
堅い実を指でつぶしながらだんだんやわらかくしていきます。ブツブツと種が浮いてきます。
なおも軟らかくして、茎の付け根のところをそうっとはがすのがむずかしかったです。
わたしは一度だけうまくできたのですが、音を出すことができませんでした。