戦争をやめさせた一冊のマンガ
韮山の遺稿は、彼の魂でもある。そんな彼の魂が踏みにじられた気がしたのだ。
仕方なく、私はその遺稿を韮山の実家へ届けた。
「こんな、売れんマンガなんか描く暇があったら、一人でも敵を倒して御国のために役立てばよかったんじゃ」
韮山の母親は涙を流しながら、そう言った。
「お母さん、お忘れですか? 息子さんがマンガを投げ込んだからこそ、銃撃が止まったんですよ。息子さんは戦争をやめさせるために命を賭けるとおっしゃいました。息子さんは信念に殉じたんですよ。私は息子さんの魂こそ英霊だと思っていますよ」
「ううっ……」
母親が泣き崩れた。
「お父も戦争で死んだんじゃ。うちだけがこうして生き残っておる。死ぬも地獄、生き残るも地獄じゃ」
「……」
「奇麗ごとでは済まされん。御国の戦争は終わっても、うちの戦争はまだ終わっとらん。終わっとらんのよ……!」
母親は遺稿のマンガの上にボタボタと大粒の涙をこぼした。
どちらにしろ、悲惨な戦争で家族を失った者の傷跡は大きい。私がいくら慰めたところで、癒されることはないであろう。
家族が立ち直るためには、莫大なエネルギーと、気の遠くなるような長い年月が必要なのだ。
そして今。
たまに息子夫婦の家を訪ねると、孫が戦争物のアニメを観ながら「殺せー! 死ねー!」と騒いでいる。
その度に私は背筋が凍る思いがするのだ。せめて孫が生きている時代には戦争が起こらないで欲しいと願う。
それにしても、マンガから飛び出した今日のアニメやゲームは随分と残虐だ。主人公が血みどろの戦いを演じている。それを観て孫はどんな人間に育つのだろうかと、一抹の不安を覚える。
韮山よ、お前の描きたかったマンガとはこんなものだったのか。
ある日、私は孫を連れて博物館に出掛けた。何でも恐竜の化石が見たかったのだとか。
その帰りに私と孫はふらっと、戦争展に立ち寄った。何気なく看板に惹かれたのだ。
最初は嫌がっていた孫だが、入ればすっかり、銃器に目を奪われている。
「おじいちゃん、すごいね。おじいちゃんも戦争に行ったんでしょ?」
「ああ、行ったよ。でも戦争はいけないことなんだ」
口でただ「いけないこと」と言うのは容易い。ただ真実を語り、真意を伝えるにはもう少し孫の成長を待たなければならない。
私は孫と館内を回った。
すると孫が叫んだ。
作品名:戦争をやめさせた一冊のマンガ 作家名:栗原 峰幸