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てっしゅう
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「哀恋草」 第九章 彼岸花

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湯殿から上気した顔で出てきた二人はそのまま寝所へと向かった。久もみよも、疲れからか、すでに熟睡していた。半分意識が朦朧としている光は、倒れこむようにして布団に入り、志乃と共に深い眠りに入っていった。弥生もすでに眠っている。最後まで起きていた作蔵は、今の穏やかな日々がいつまで続くのだろうかと一人考え込んでいた。そして一蔵の所へ出向いて何か妙案を得ようと、そう思い始めた。生温かい風が部屋をくぐり抜け、寝苦しい夜になっていた。「明日は雨になるやも知れぬな」ふとそう呟くと、作蔵は身体を横にした。

ザーと音を立てて激しく雨が降り始めた。その雨音に遮られるように寝付けない時間が過ぎていった。何気なく覗いた光と志乃が寝ている部屋は、蒸し暑さからなのか、二人ともほとんど肌を露出したようになっていた。みよには抱かなかった男の欲望が、二人の生身を見て掻き立てられた。特に汚れのない光の肌は、清楚とは真逆に官能的な色気を放っていた。

男のものが久しぶりに大きくそびえ立って来た。妻の桐はあの身体ゆえ抱くことも無い。ここのところ何かと騒がしくて心落ち着かせて女を見たことも無かったから、今宵の寝姿は作蔵には刺激的だったのだろう。志乃が気配を察した。入ってくる作蔵と視線を合わせ、唇に人差し指を当て、外に出るように促した。目的の女ではなかったが、志乃もまた作蔵にとっては妖艶な女に映っていた。

「光どのに触れてはいけませぬ!私が許しませぬぞ!我慢ならぬようなら、私を抱かれませ・・・」
そう言い放って、身体を作蔵に寄せた。もう作蔵には止める理性など持ち合わせていなかったから、なだれ込むように志乃の身体を抱き寄せ、貪るように愛撫した。

あんなに激しく降っていた雨は夜明け前に止んだ。ずっと堪えていた作蔵の欲望は志乃の身体の中で果てた。お互いの欲求に従いながらその激しい息遣いは雨音にかき消されて、誰にも気付かれる事はなかった。何もなかったように、朝の支度を始めた志乃は、厨に入ってきたみよ、光、弥生と挨拶を交わした。食事の時に作蔵はチラッと志乃の顔を見やり、みんなの前で告げた。

「今から、わしは一蔵兄の所へ参る。これからのこと相談してこようと考えておる。・・・志乃どのお供してくれるか?弥生殿でも構わぬが・・・」
「はい、志乃が参りましょう。弥生殿は家事が得意ゆえ、重宝でござろう。光殿、私の留守の間、桐さまのお世話頼みまする」
「志乃どの、光が引き受けましてございます。お気をつけて吉野へ行かれませ」
「ありがとう、頼みましたよ」
「志乃殿、ではお支度をなされよ。光どの、良しなに願います。弥生殿も世話をかけまするな・・・久殿、私が居らぬ間みんなのことお願い申し上げまする」

久は、かしこまりました、と頭を下げた。みんなで玄関先まで見送って、作蔵と志乃は吉野へ出かけていった。雨上がりの蒸し暑い気温が歩く二人に襲い掛かってきた。昨夜の営みに体力を奪われたのか、寝不足が祟って来たのか、道半ばにして歩く気力をなくした二人は、日陰を見つけて休息した。半時ほどの眠りについた志乃は夢を見た。それは、子供をあやしている自分の姿であった。あなた・・・あなた、と父親の夫を探している。どんどん自分から離れてゆく夫に大きく声をかけていた。あなた・・・あなた・・・、そして作蔵に揺り動かされるようにして起こされた。

「志乃!起きなされ。出立じゃ」
「あなた・・・」「あなた?じゃないぞ、しっかりしなされ」
志乃には夫が作蔵だったように感じられた。


一蔵はさっき見た勝秀の亡霊に心悩まされていた。それほどまでに無念の魂が彷徨い天国に導かれていない事が悲しく思えていたからだ。時折足を止めては振り返り、また振り返りを繰り返していたため、時間がかかり、まだ半分の道のりも歩けていなかった。そうこうしているうちに反対側から、なにやら声が聞こえてきた。木陰に隠れ通り過ぎるのを待っていた。それが作蔵と志乃のふたりと解ると、手を振って自分を知らせた。

「作蔵!兄じゃ、どうしてここを歩いておるのじゃ?」
「これは兄上!今志乃殿と二人、会いに行く途中でござった。何ゆえ兄上はここを歩いておられるのじゃ?」
「そなたたちに知らせることがあって急いでおるのじゃ・・・悲しい知らせじゃが、教えぬ訳には行かぬでのう」
「どうなされまする?お戻りなされまするか?」
「いや、戻らぬ。吉野では話せぬことゆえ、そちの家に伺わせてもらおう。良いかのう?」
「もちろん構いませぬ」

一蔵はここに来るまでの時に、吉野川での幽霊の話をした。光が見たと言う話と同じに感じた作蔵は、もはや勝秀が死んでいるのではないのか・・・と感じ始めていた。兄、一蔵の切り出した言葉は、はっきりとその事を知らしめた。

「作蔵、勝秀殿は無念の最後を遂げられたようじゃ。後白河様よりの知らせには、三条河原に首が晒されている、と書かれておる。早々に荼毘にふして供養してやらねば、彷徨い続けるやも知れぬな」
「では、いったん私は家に戻り、支度をして、京へと向かいまする。人気に注意して首を持ち帰って参ります」
「そうか、それが良いであろう。志乃殿はどう思われるかのう?」
「私も同じでございます。しかし、この話、光どのや久殿にお伝えする事が、心苦しゅう存じます」

三人は街道を作蔵の住まいへとゆっくりと歩き始めた。

時政が放っていた密偵佐一郎は朝もやの中、出立した一蔵の後を着いて来た。なにやらためらったように立ち止まっている一蔵に不審を覚えたが、しばらくして歩き始めたのでついて行った。勝秀の亡霊は佐一郎には、いや一蔵以外には見えなかったのである。そして先ほどの出会い。小躍りしてしめた!とほくそえんだが、行き着く先を確かめるまで気を抜かずに後をつけて行った。

「のう、作蔵。これから久どのや光どのはどうされるかのう?身寄りがないゆえ、望まれるならば、おぬしのところへ住まわせる事も叶えてあげねばなるまい。みよの励みにもなるしのう」
「そうでござりまするな。二人が望むのであれば、私に異存はござりませぬ」
「うむ、そうなればよいのう」

志乃は先ほどからなんだか自分たち以外の気配を感じていた。それは自分も負わされていた忍びであったからだ。研ぎ澄まされた五感が匂いや風の流れなどに敏感に反応するのだ。足を止めて、二人に耳打ちした。

「一蔵、作蔵どの、志乃には他のひと気を感じまする。一蔵殿は一人で先を行かれませ。私と作蔵どのはこの先の辻を反対に折れまする。通り過ぎた人影を後から追います。事と次第によっては・・・」
「そうなのか?そなたは鋭いのう。言われるようにしよう。のう作蔵!」
「解りました。志乃どの、間違いであったら良いがのう・・・」

生駒(いこま)に抜ける街道筋を作蔵と志乃は曲がった。これには佐一郎は予想外の事に躊躇した。一瞬の隙が判断を誤ったのか、二人が曲がった方向について行った。

留守を預かっていた久は、ぼんやりと庭に出て外を眺めて時間を過ごしていた。後から光が近づいてきて話しかけた。