「哀恋草」 第九章 彼岸花
光はもうすっかり女になっていた。自分が寂しい時、悲しいとき、誰かに抱きしめて欲しいという感情が無いわけではない。心の中であの時の維盛の言葉が忘れられないのだ。そして生きておれば今頃は契り合っていたと思うと、なお一層の切なさと体の寂しさを覚えるときがあった。胸のふくらみに手を添えてぎゅっと力を入れると、体の芯がポッと熱くなる。まだ触れた事の無い女の部分も奥のほうでじわっと何かが染み出るような感覚を知った。
「光どの・・・そなたはどこまで清らかで純真なお方なんじゃ。志乃はそのお心に触れるだけで心が洗われるようでございます。始めてここに来てそのお気持ちに接した事で、自分の罪を悔いることが出来たように思えまする。そなただけは、そなただけは、汚れてはいけませぬぞ!」
そう嗚咽が混じった声で話すと、強く光を抱きしめた。志乃の手と身体は光の滑るような柔らかい肌を感じ取っていた。
「そなたは心だけでなく、肌も、身体も志乃には憧れに感じまする」
志乃の手が光の大切な部分に触れた。固く拒んでいたこれまでと違い、光はじっとしていた。
吉野に戻った一蔵は、景時からの書状を受け取った。京から使者が馬で駆けつけてそれはもたらされた。読み始めた一蔵の表情が最後の件で変わった。そこには勝秀の非情な最後が書かれてあった。
「なんということ・・・それにしても時政殿は身勝手なお方じゃ。己が命を助けた勝秀様を見殺しにするなどと・・・久殿や光は知らぬことよのう、知らせるべきじゃろう」
そう言って、身支度をして作蔵の家に出かけることにした。今朝からもやがかかって吉野川周辺は見通しが悪い状況になっていた。橋を渡りいつもの街道に差し掛かった辺りで人の気配がした。立ち止まって振り返るが誰も居ない。歩き始めるとしばらくしてまた気配を感じた。
「そこに誰か潜みおるのか?気付いておるぞ!出てこられよ!」
返事がない。もやはゆっくりと晴れてきた。一蔵の視界にはっきりとその姿は見えてきた。
「勝秀殿!何故そこに居られるのじゃ?そなたは・・・」
いい初めてすぐに、姿が消えた。
「なんということじゃ!幻か・・・幽霊か・・・わしに何か伝えたかったのかのう・・・無念じゃったろうで。許されよ、そなたの力になれんで・・・」
勝秀の亡霊は何を伝えたかったのであろうか。光の前と一蔵の前に姿を現し、無念を聞いて欲しかったのか、はたまた懐かしんでのことだったのだろうか。足早に道を急ぐ一蔵の心はこれから起こるさらなる悲劇を予感させたのか、胸騒ぎに襲われていた。
時政は傷が癒え、景時が鎌倉へ戻って行ったことで気が楽になったのか、自分をおとしめた志乃や弥生のことを恨むようになっていた。市中に家来を張り巡らし探索をしたが見つからなかった。守護職の権限を利用して、後白河法皇に拝謁し、勝秀の首が三条河原にさらされていることを告げ、その反応を見た。
「勝秀と申すものがさらし首と・・・な。何故そのようなことを話すのじゃ!わしに何か疑いをかけておられるのか?」
「いえ、私は市中を守るものとしてご報告いたしたまでのこと。気に障りましたらお許し下されませ。では、本日はこれまで」
そう言って下がった。忍びの家来を引き連れていた時政は、自分が拝謁している間に、その者を床下に忍び込ませていた。そうとは知らずに法皇は、お付のものを呼び寄せ、書面を認めた。小声ではあったが、手渡すときに、「吉野の一蔵が手元へ届けよ」と話した声を、床下の忍びは聞き漏らさなかった。
翌日の朝、時政は数人の忍びと家臣を呼びつけ、言い渡した。
「いいかよく聞け。このわしを襲い、数名の家臣の命を奪った奴らの手がかりが、吉野にある。近隣を含めこの顔の女を見つけたらすぐに捕縛するのじゃ!殺してはならぬ。ここに連れて戻られよ。良いか!」
かしこまって命を聞いた家臣たちはそれぞれに手分けして駆け出して行った。三条河原の勝秀の首は時政の行動を知らしめるために己の魂に申し送ったのか・・・悲しいことに、あの世からでは声が届けられなかったのであろう。数日たった勝秀の首は鳥がついばみ始めその姿は惨めなものへと変化していた。もう誰が見ても氏名は判断できないそんな状況に成り果てていた。
志乃の手が触れた光の身体は少し反応を見せた。女同士での慰めあいは性欲からではなく、むしろいたわり合いの気持ちで起こるのかもしれない。この夜の光は襲われる不安と戦っていたし、志乃はこれからの自分の生涯に迷いを感じていたこともあって、二人はより以上にお互いを慰めて欲しかった。
「光どの・・・志乃が導いて差し上げまする。恐れることなく受け入れなさいませ。身体がこわばっておりまする。ゆっくりと深呼吸なされ」
光は言われるままに、深呼吸をした。
「志乃どの・・・光は何も出来ませぬ」
「大丈夫でございます。ほら同じ様にここに手をお当て下さいませ」
志乃は光の右手をつかみ自分の敏感な部分に添えた。そして、
「私が今から、そなたに致すことと同じことをなされませ。難しゅうはござりません。女の本能に従うままでござるゆえ・・・」
そう言って、正座している姿勢から横に並びあう姿勢に変えた。光の右手が、志乃の左手がお互いの部分を撫でるようにし始めた。しばらくして二人の身体は反応を示し、指先に湿りを感じるようになって来た。初めての恍惚に光は声を殺していた。志乃は逆に光にはっきりと聞こえるように、息を吐いて感情を露にしていた。夜は次第に更け、二人だけの世界はさらなる恍惚の世界へとお互いを誘っていった。
時政の命で吉野へ向かった家臣と忍びの数名は一蔵の屋敷とその周りを探っていたが志乃らしき女は見つからなかった。頭と思われる男は皆を集め、ある提案をした。それは、手荒な真似だが、一蔵の家人を誘い出し、詰問する、言い換えれば締め上げるという行為で、聞き出そうというものだった。
「お頭・・・それで吐かなけりゃ、どうされるおつもりで?」
「うむ、帰すわけに行かんで・・・吉野川の藻屑となろうかのう・・・」
「大丈夫ですかえ?殿に知れては騒ぎが大きくなりますぜ」
「知れぬようにすれば良いじゃろうて。それとも良い智恵があるのか?」
「いえ、そういうわけじゃ・・・ありませんが、あっしを残して一旦引き上げなされませ。相手は油断して、志乃たちの居場所へ動き出すやも知れませぬ。後をつければきっと何かがつかめましょう。この仕事は、あっしにお任せいただければ・・・必ずや吉報をお届けいたしましょう」
「そんな悠長なことで、殿は満足されるかのう・・・しかし、そちの忍びの術は定評があるゆえ、任せてみるかのう」
男は胸をポンと叩き、頭を下げた。男の名は、佐一郎と言った。関東者である。時政が景時から預かった数名の役に立つ者たちの仲間である。京にいる時政の監視を兼ねて残していった、景時が腕利きの家来たちでもあったのだ。
時政の館に吉野から戻ってきた頭の男は、佐一郎が残って見張りをしていることを報告した。動きが無かったことに口惜しんだが、佐一郎の首尾を期待する他は無かった。杯を口に運びながら、いつに無く機嫌の良い今夜の時政であった。
作品名:「哀恋草」 第九章 彼岸花 作家名:てっしゅう