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氷解

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 そして、栄太郎は「はあ……」と重いため息をつくと、ハンドルから手を離した。律子の微笑みは、いつも強力な指導を躊躇わせる効果が栄太郎にはあるのだ。律子が美しいということもある。だが、どこかはかないような脆さと芯の強さという、相反する面影を抱いた律子の雰囲気は、栄太郎の男心をくすぐって止まないのだ。支援する側と、される側。その関係以外の何物でもないのだが、つい不埒な妄想が頭を過ぎってしまう。
 生活保護ではケースの生活歴を事細かに尋ねる。そこから問題を分析し、個人の社会診断を行うのだ。現に律子の母親、佐々木伸江も生活保護を受けている。伸江は保護費をパチンコや酒に注ぎ込んでは浪費することで、民生委員などからもよく苦情がくる、いわば「有名人」だ。伸江はそれこそ、生活保護に胡坐をかいて生活してきており、働く意志など微塵にも見られない。そして、伸江もまた離婚していた。そんな環境の中で律子は育ってきたのである。
 律子は高校へは進学せず、スーパーのレジ打ちとして働いていた。しかし、男性店員と仲良くなり、やがて妊娠。その店員には妻子がおり、結ばれる仲ではなかった。母親も無責任なもので、律子が妊娠五ヶ月になるまで、その兆候に気付かなかったという。結局、子どもを産むこととなったが、当然のことながら、不倫相手から認知してもらえるはずもなかった。子どもをめぐって律子は母親と対立するようになり、家を出る。臨月になるまで工場で働くが、出産と同時に退職。以降は無職となり、生活保護で生計を営むようになる。
 健一が保育所に入った今、律子に働けない理由はなかった。経済的な自立とまでいかなくても、自分で収入を得て生活していく喜びを律子に味わってもらいたかった。貧困の再生産とよく言うが、このままでは親子二代にわたり生活保護を受け続けることとなる。その連鎖を何とか栄太郎は食い止めたかった。

 栄太郎は公用車を古ぼけたクリーム色のアパートが見える空き地に停めた。そこからアパートまで歩く。アパートはいかにも寂れており、扉の前に乱雑に物が置かれている部屋もある。どこか昭和の匂いが漂うアパートだ。栄太郎は一番右端の扉の呼び鈴を押す。呼び鈴はしわがれた声で主を呼び出していた。
「はーい」
作品名:氷解 作家名:栗原 峰幸