氷解
「私のところにも変な電話がかかってきましたよ」
「まあ、ごめんなさい。私のせいで……」
律子が言葉に詰まった。
「あなたが謝ることじゃない。それより、これから伺ってもいいですか」
栄太郎にはまだ、律子を自立に導くだけの方策があったわけではない。それでも、栄太郎はビジネスバッグを抱え、上着を掴んでいた。
栄太郎はそのまま帰宅するつもりで律子のアパートへ向かった。いつもは公用車で訪問するが、今日は電車で行く。百日台の駅を下りて、商店街の中を抜けると、すぐに閑静な住宅街に入る。もう、日はとっぷりと暮れていた。街灯の明かりを頼りに、栄太郎は律子のアパートへと急いだ。
その道すがら、いっそ律子と一緒になってしまえば、誰からも文句を言われなくて済むと、栄太郎は考えたりもしたが、何度か公園で遊んだだけの間柄であり、やはり、支援する者と、される者という心の壁はなかなか自分では取り払えなかった。
(それに、律子の気持ちもあるじゃないか)
そんなことを考えると、栄太郎の心はたくさんの絵の具をいっぺんに流し込んだようなグチャグチャの色合いになった。自分ではどうしようもなかった。
同時に律子は自分のことをどう思っているのだろうかと、少し不安になる。確かめるには勇気がいる。それを確かめてしまえば、最悪の場合、仕事の関係も行き詰ってしまうのである。栄太郎がただの意気地なしというわけではなかった。
律子の住むアパートは、もう目と鼻の先に迫っていた。宵闇に灯る人家の明かりは暖かい。それは律子のアパートとて同じであった。その安堵感さえ覚える明かりの中でも、律子は不安に怯えているのだろうかと思うと、栄太郎の胸も締め付けられた。栄太郎は自然と駆け出した。
「ごめんください」
律子は栄太郎の声を聞いてすぐに扉を開けてくれた。律子は不安そうな顔を湛えている。あれほど明るかった律子が脆くも壊れそうだ。健一の無邪気に遊ぶ声が奥の間から聞こえた。
「すみません。わざわざ来ていただいて。さあ、どうぞ」
律子の家は相変わらず小奇麗だった、忙しくても掃除は欠かさないのだろう。ただ、健一の玩具だけが、少し乱雑に散らかっているが、気になるほどではない。健一は奥の四畳半で布団の中に潜りながら、仮面ライダーの人形で何やら遊んでいる。