氷解
栄太郎が驚いたように空を見上げた。今日も綿飴のような雲がのんびりと流れている。この上なくのどかな空だ。それを律子は「ポップな空」と表現した。そんな表現もあるものかと、栄太郎は驚いたのだ。それは律子にしか表現できない感性だったのかもしれない。同時に栄太郎は、そんな感性の持ち主である律子にある種の敬意を払った。自分には感じられない感じ方をできる律子が羨ましく、そして、尊敬したのである。そこに、律子が生活保護の受給者などということは関係なかった。
「いいなあ、その感性」
「そうかしら」
「そうですとも」
「昨日、母がうちに来たの。母の手料理を食べたのなんか、何年ぶりかしら。ううん、私の記憶の中には母の手料理なんかなかったわ。正直、あまり美味しくはなかったけど、嬉しかった。それに、母がお酒を飲まないなんて……」
律子が少しはにかみながら、しみじみと言った。手に持ったボールを弄んでいる。
「そうか。お母さんも変われたのかな」
「これも北島さんのお陰ね。ああ、仕事が決まったのも北島さんのお陰だし、母との子ともそう。それに健一だって北島さんのことが好きみたい」
その言葉にギョッとして、栄太郎が律子の顔を覗き込む。律子の顔は心なしか赤い。夕日に染まるには、まだ時を待たねばならないはずだ。
「ふう、私って嫌な女だったと思うの。我が強くて、突っ張っていて、それでいて自分の都合のいいように生活保護に甘えてきた。でもね、こんな親切にしてくれる北島さんをこれ以上、裏切れないよ」
律子の顔は泣きそうだった。
「佐々木さん……」
律子のその言葉は、栄太郎が地区担当員をして、初めてケースから聞く言葉だった。人間、先立つものがなければ生きてはいけない。しかし、本当の貧困とは心の闇に潜むものであるということを栄太郎は知った。
「まずはケースを信じろ」
栄太郎は高橋係長の言葉を思い出す。ケースに裏切られる度に、心の潤いを失くしていく自分を、改めて戒めた。
「おじしゃん、ボールで遊ぼう」
健一が栄太郎のもとに駆け寄ってきた。律子は「こら」と健一を制すが、栄太郎は「いいよ」と言って、ギターをケースに仕舞った。
「よーし、何をしようか」
「サッカー」
「じゃあ、あっちの広場へ行こう」
「お母さんも早く」
その姿を知らない誰かが見れば、仲の良い家族に見えたかもしれない。