氷解
木曜日の朝、栄太郎は市役所へは行かず、帰帆公共職業安定所へ直行していた。無論、律子と約束しているのである。職安の前で栄太郎はソワソワしながら律子を待った。近くのバス停まで何度も往復する。その様はまるで動物園の熊だ。
「おはようございます」
その聞き覚えのある声に栄太郎が振り向くと、律子がそこにいた。
「ああ、おはようございます」
栄太郎が呆気にとられたような顔をした。律子がバスから降りた気配はない。不意を突かれたのである。
「早めに出てきたので駅から歩いちゃいました」
「ああ、なるほど」
律子はベージュのブラウスにジーパンというオーソドックスなスタイルで、薄化粧が見る者に好印象を与えていた。
「先日は息子のためにありがとうございました。息子もすっかり気に入りまして、ずっと手放さないんですよ」
律子が白い歯を覗かせながら言った。ルックスと相俟って、何とも爽やかな言葉だった。
「いえ、喜んでもらってよかったですよ。健一君は仮面ライダーが好きだって言っていたから。実は僕も仮面ライダーが好きなんですよ」
「もしかして、オタクですか」
「そう見えますか」
「あははは……。まさか、ねえ」
「冗談はこのくらいにして行きますか」
「はい、よろしくお願いします」
こうして栄太郎と律子は職安の自動扉をくぐった。
帰帆公共職業安定所で生活保護の受給者が相談する場合、専門援助部門という部署で相談することになっている。いわゆる障害者などと同じ扱いとなっているのだ。福祉事務所の地区担当員は少なからず、ここの専門援助部門とは顔がつながっており、相談しやすい体制ができていた。
「おはようございます。福祉の北島ですが……」
するとカウンター越しに、眼鏡をかけた中年の女性が栄太郎の方へ向き直った。この女性は加藤といい、専門援助部門に配置されている専門担当官だ。
「おはようございます。今日も仕事探しですか」
「ええ、まあ」
「この前の人はモチベーションが低かったけど、この方は大丈夫でしょうね」
加藤が上目遣いで、眼鏡の奥から栄太郎を睨むように見た。栄太郎は「すみません。今回は大丈夫ですよ」と少し恐縮している。そして、律子に椅子に座るように促す。律子は一礼して椅子に座った。
「こちらがご相談したい佐々木律子さんです」
「そう。で、佐々木さんはどんなお仕事をお探しですか」