氷解
「だったら、これを機会にちゃんと向き合ってみたらどうですか」
「そのためにはパチンコも酒もほどほどにするんだな」
戸沢は腕組みを解き、ビジネスバッグから一枚の紙を出す。
「ほら、娘さんから貰った金額を記入するんだ。もし改心するなら、お情けで不正受給扱いにはしないから」
「わかりました。ところでお願いなんですが、そちらの方に律子との仲を取り持っていただけませんでしょうか」
戸沢が栄太郎を見た。栄太郎は口元を緩めると目で頷き返した。
「くれぐれもお孫さんにお酒なんか飲まさないでくださいよ」
栄太郎が苦笑した。
その日は水曜日ということもあり、職員は残業をせず、一斉に退庁した。水曜日は一斉消灯のノー残業デーなのである。栄太郎ももちろん、手際よく帰り支度を済ませ、帰途についた。
栄太郎は電車で通勤しているが、市役所がある帰帆駅の隣の百日台駅と程近い。そこは駅を挟んで律子とも生活圏が重なる。なるべく駅の反対側には行かないようにしている栄太郎ではあるが、この日は何故か駅の反対側にある大きなスーパーマーケットの方に足を運んだ。
(もしかしたら律子に会えるかもしれない……)
そんな気がしていたのだ。栄太郎の頭の中では律子の笑顔が反芻していた。自分でも滑稽だと思うが、それが地区担当員としての使命なのか、それ以上の感情なのかははっきりとはわからなかった。もし、律子に恋愛感情が芽生えたとしたら、それを否定したい自分もどこかにあった。支援する者と、される者。そこに恋愛感情を挟むのはプロのすることではなかった。以前、栄太郎が生活保護の全国地区担当員研究協議会に参加した時、ある地区担当員から「母子家庭とデキちゃう担当が多い」と聞かされたことがある。そのときは思わず嫌悪したものだ。
栄太郎はモヤモヤした頭を片手で抑えながら歩いた。すると、人込みの向こうに律子と健一らしき人影が見えた気がした。栄太郎は咄嗟に走った。だが、その人影はすぐに雑踏の中に紛れてしまった。
(ああ、馬鹿馬鹿しい……。何をやっているんだろうか、俺は……)
栄太郎はため息をつくと、もと来た道を引き返し始めた。