氷解
「私もこんな優しい北島さんを騙すのは心苦しかったんです。でも、母に強く言われると逆らえなくて……」
「いいんですよ。ちゃんと話してくれたじゃないですか。それより今後のことですが、やっぱり居酒屋は健一君のためにもよくないと思いますよ」
律子はハンカチで目を覆いながら「ええ、ええ」と頷いている。
「それに、お母さんにお金が渡るのもよくない。これも不正受給の一種ですからね」
「先日、母が健一にお酒を飲ませたんです。もう、私も母には健一を預けたくないんです。母とは縁を切るつもりで、ここで暮らし始めたのに……」
「そうですか。お母さんも生保の受給者ですからね。きちっと指導します。今がいい機会かもしれませんね」
律子は「ありがとうございます」と言い、深々と頭を下げた。
「ところで、もう居酒屋の収入はありましたか」
「はい。まだ見習いで日数も少ないので、先月分は三万五千円ですが……」
「給与明細はありますか」
「ちょっと、お待ち下さい」
律子が立ち上がった。長い間、律儀にも正座をしていて足が痺れているのだろうか。歩き方が少しおかしい。律子は箪笥から一枚の紙切れを持ち出すと、栄太郎に手渡した。それは汚い字で書かれた、いかにも胡散臭い給与明細であった。
「じゃあ、収入申告書を書いてもらいましょうか。これは来月の保護費で調整させてもらっていいですか」
「はい。でも、母に摂られてしまっているので……」
「今回は不正受給扱いをしませんから、普通の勤労控除と新規就労控除というものが適用されます。収入と見なされる金額はいくらもありませんからご心配なく」
律子がまたハンカチで瞳を拭った。
「北島さんってどうしてこんなにお優しいのかしら。私が子どもの時、よく来ていた人は厳しい人ばかりだったのに……」
「当たり前のことを、当たり前にやっているだけですよ。それと……」
そう言いかけて、栄太郎はビジネスバッグの中を弄った。そして、取り出したのは小さな包みだった。一見して玩具屋の包みだとわかる。
「今日は健一君のお誕生日でしたね。私からのプレゼントです」
栄太郎がはにかむように笑いながら、プレゼントを差し出す。
「えー、やだ、どうしよう。私だって用意していないのに……」
律子は口に手を当てたかと思うと、急に前のめりになった。まるで、ひれ伏すように。そして、律子の身体が小刻みに震えた。