氷解
律子には居留守を使う手段だってあった。栄太郎が訪問する時間帯に出掛けたっていい。それでも、きちんと訪問を受け入れるところに潔さがあった。ただ、律子の顔は強張り、容易に触れれば、壊れてしまうような脆さを湛えていた。
律子は無言のまま、栄太郎を奥の六畳間へと通した。そこで栄太郎に座布団を勧め、お茶を淹れようと立った。
「佐々木さん……」
栄太郎のその声に、律子の足がピタッと止まる。
「佐々木さん、居酒屋で働いている間、健一君はどうしているんですか」
律子はその場に座り込んだ。律儀なほど固い正座である。栄太郎は律子の方へ向き直った。そして、律子を直視する。律子は俯いていた。垂れ下がった前髪を掻き分けることもなく俯いていた。
「私はね、あなたが居酒屋で働いていたことを責めているんじゃない。健一君のことや、あなたの将来のことが心配なんですよ」
栄太郎のその言葉に、律子が恐る恐る顔を上げた。栄太郎の心の底を窺うような瞳をしている。律子は細かく動かしていた指の動きを止め、拳をギュッと握った。そして、固く結んでいた口がにわかに開いた。
「本当は居酒屋なんかで働きたくなかったんです……」
「ほう……」
「母が健一を看てやるから、働けと……」
そう言った律子はまた俯いてしまった。だが、栄太郎は穏やかな口調で続けた。
「お母さんとは絶縁状態じゃなかったんですか」
「それが先日、ひょっこり顔を出しまして……。健一の面倒を看てやるから働けと……」
「ほう、それはどういう心境の変化なんでしょうかねぇ」
栄太郎は責めるふうでもなく、ゆっくりと腕組みをした。律子は何やらブツブツと呟いている。それは、はっきりとは栄太郎には聞こえない。
「どうしたんですか」
「母は私のお金が目的なんです。居酒屋で夜働けば福祉事務所にバレないだろうからって。子どもの面倒を看るから給料の三分の一をよこせって。母はパチンコやお酒のお金が欲しいんです」
「それはひどい!」
さすがに栄太郎も驚愕の色を隠せなかった。律子の肩は震えていた。その目からは大粒の滴が垂れている。それをハンカチで拭うこともなく、流れるままにさせていた。栄太郎はズボンのポケットからハンカチを差し出すと、律子に手渡した。律子は少し躊躇ったものの、ゆっくりとした動作でハンカチを受け取った。そして、涙を拭う。