僕が許した父
「だから言っただろう。お前の父親のことなんだから、お前が決めなさい。もう大人なんだから」
「そんなこと言ったって……」
「ひとつだけ言っておくわ」
母がやるせない顔をして振り返る。その表情は、そうだ、父と暮らしていた時の、暗く淀んだ母の表情だ。僕はこの時、少しばかり母を追い詰めてしまったと後悔した。
「何だい?」
「お父さんとお母さんはね、あれでも好いて一緒になった仲なんだよ。あんな人でもね、逃げる時は本当に後ろ髪を惹かれる思いだったんだよ。あの人はね、誰かが側についていなきゃ、だめな人なんだよ」
母がエプロンで瞼を拭った。目尻にできた小皺が光っている。
僕はまだ母が父を愛していることを知った。しかしこの時、正直なところ、僕には母の気持ちが理解できなかった。ただ、母が僕に父の遺骨を拾ってほしいと訴えているような気がしてならなかった。母の願いとならば、聞いてやらねばなるまい。
僕は電話の受話器を持ち上げて、自分を確かめるように数字を押す。電話のコールが異様に長く感じられた。
「お待たせしました。小田原合同庁舎でございます」
品の良い、柔らかな女性の声に後押しされて僕は言った。
「福祉事務所の澤井さんをお願いします」
その夜、僕は製鉄所の溶鉱炉の中を眺めていた。
ドロドロに溶かされた鉄は対流し、まるで生物のように蠢いている。僕はいつもこの光景を見て思う。鉄は生きているのではないのかと。
僕は汗を拭った。作業服の中はいつも蒸れている。ここでは常に、夏とは呼べない暑さが支配しているのだ。
「よう、どうした? ぼんやりして」
コンビを組む柿澤先輩が声を掛けてくれた。気さくな中年の先輩で、僕の面倒をよく見てくれる。そんな彼を僕は慕っていた。
「いや、いつも思うんですよね。鉄って生きているんじゃないかって」
僕が溶鉱炉の中を覗き込みながらそう言うと、柿澤先輩も灼熱の泥流を覗き込む。
「そうよ。鉄は生きているんだ。何せ俺たちが魂を込めて作っているんだからな」
僕は柿澤先輩の横顔を覗いた。その顔は自信と男の誇りに満ちていた。
「そうですよね……」
僕も自分の仕事に自信と誇りを持ちたかった。しかし毎日繰り返される同じような作業は決して面白いものではない。