僕が許した父
「久しぶりだね」
しかし昌子は答えることなく、そのまま固まってしまった。
夕暮れの公園にやるせない空気が流れた。
どれ程の沈黙が続いただろう。突然、昌子の頬から一筋の涙がこぼれた。
「どうしたの? ママー」
昌子は子供の肩に手を置きながらも、ボロボロと涙を流し続けている。
「光ちゃん、やっと帰ってきたてくれたんだね」
そう言った時には、昌子の顔はクシャクシャに近かった。
昌子と僕は公園のベンチに座った。男の子はまた無邪気にタコの遊具で遊びだしている。
「実は親父が死んでね」
僕から話を切り出した。
「そうなの。お父さんから逃げたっていう噂を聞いていたけど、本当だったの?」
「ああ、お袋がいつも親父に殴られていてね。それで逃げたんだ。俺は今、川崎の製鉄所で働いているんだ。お袋と二人暮らしさ。親父はこの湯河原で生活保護を受けていたんだ。福祉事務所から連絡があってね」
「そんなお父さんでも、最後を看取ったの?」
「まさか。孤独死ってやつさ。今日は家の片付けに来たんだ。でも不思議なものでなあ、親父の死に顔を見たり、家を片付けたりしているうちに何だか親父が哀れに思えてさ」
「そう……」
昌子が寂しそうに呟いた。僕はその声に、思わず昌子の横顔を見た。夕陽に照らされたその横顔は、ひとりで寂しそうに遊んでいた、あの時の昌子の横顔にそっくりだった。
「ところでマーちゃんの旦那さんって、どんな人?」
僕がそう尋ねると、昌子は一呼吸置いてから口を開いた。
「別れたわ」
「えっ?」
「もともとチャランポランな人だったの。まあ、子供ができちゃったから、何となく一緒になったって感じかな。でも、あいつは変わらなかった。結局、あいつ、覚醒剤に手を出して逮捕されてね。それで離婚を決意したのよ」
昌子は無表情に語った。
「じゃあ、今は母子家庭なのかい?」
僕は昌子の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「うん。実家に身を寄せているの。私もチボリで働いているけど、それだけでは食べていけないから、結局、今でも親のスネを齧ってる」
そう言う昌子の視線は宙を泳いでいた。おそらく自分でも、この先どうしたらよいのかわからないのだろう。
ちなみにチボリとは湯河原にあるクッキー工場で、近くを通ると甘い匂いが漂ってくる。