僕が許した父
その母親は小学校三年生の時に、真鶴小学校から転校してきた青木昌子に間違いなかった。その顔を誰が忘れようか。
昌子は転校生ということで、最初はクラスでからかわれたり、仲間はずれにされたりしていた。子供の社会とは、ある一面で大人の社会より残酷なものである。
昌子の家はこのタコ公園のすぐ近くにあった。僕はひとりで彼女がタコ公園で遊んでいるのを、よく見かけたものだ。
僕は子供心にも昌子に同情していた。学校で理不尽な仕打ちを受ける彼女の姿に、家で辛い思いをしている僕自身の姿が、どことなく重なって見えたのだ。
ある日、僕は思い切ってタコ公園で遊ぶ昌子に「一緒に遊ぼう」と声を掛けてみた。彼女は少し強張った顔をしたものの、すぐにニコッと笑い、「うん」と頷き返してくれた。あの時の嬉しそうな彼女の笑顔は今でも忘れない。
それからというもの、タコ公園が昌子と僕の遊び場になった。
どこかお互いに惹き合うものがあったのだろう。ここでは嫌なことを忘れ、まるで傷を舐め合うように、暗くなるまで遊んだのだ。
昌子とは小学校から高校まで一緒だった。別に正式に交際をしていたというわけではないが、相変わらず仲は良かった。昌子と一緒にいると、家庭での嫌なことを忘れられ、ホッとできたのだ。僕が自然に振る舞える居心地のよい場所。それが昌子との時間と空間だった。
だから川崎へ引っ越した時、父から逃げられた解放感と同時に、僕は心の寄り処を失ったような気がした。それは何も告げずに去った、昌子への罪悪感を伴って……。
昌子はヒステリックな金切り声で子供を叱り付けている。男の子はベソをかきながら泣いていた。
「ママー、ごめんなさいー!」
だが昌子は膨れっ面を崩さない。
僕はベンチから腰を上げると、男の子の前にしゃがんだ。そして頭を撫でてやる。
「大丈夫だよ。ママだって許してくれるよ。ママにとって君は宝物なんだ。君にとってもママは宝物だよね?」
「うわーん!」
男の子は大泣きをしながら、昌子の腰に抱き着いた。昌子は困ったような顔をしながらも、そっと男の子の肩を抱いた。
僕は顔を上げ、昌子の方を見る。昌子は僕が誰だかすぐに気付いたのだろう。口に手を当て、目を丸くしながら「あっ!」と叫んだ。
「光ちゃん……?」
「そうだよ」
僕は笑顔を返した。昌子はまだ信じられないといった表情をしている。