僕が許した父
上下をジャージに纏った澤井さんの顔は晴れやかだった。昨日の喪服姿と対照的で、頭に巻いた手拭いがどことなく可笑しかった。
男の人が二人、もう既に家の中で作業に取り掛かっている。
「息子さん、来ましたよ」
澤井さんの声で二人が僕の方を向いた。二人とも爽やかな笑顔をしている。
「こちらは湯河原町役場の福祉課の柏木さんと室伏さん」
「どうも、父がお世話になりました」
僕は深々と頭を下げた。
「いえいえ、どういたしまして。この度はご愁傷様です」
二人とも汗をタオルで拭いながら、会釈する。
玄関から覗いただけでも、部屋の中は乱雑なのがわかった。これを片付けるとなると、相当に骨の折れる作業になるだろう。それに何とも言えない異臭が漂っている。それは死臭と腐敗臭か何かの入り混じったものなのだろうか。
僕は人生の終焉とは、もう少し清らかなもののような気がしていた。映画やテレビドラマなどで、人の死に際は美しく描かれることが多い。だから僕は乱雑で異臭のする屋内を見て、正直なところ戸惑いを隠せなかった。
それでも僕は気を取り直し、靴を脱いで家の中へ上がろうとした。
「あっ、靴は脱がない方がいいですよ。相当汚れていますから」
柏木さんが僕に声を掛けた。見ればみんな靴のまま家の中へと上がっている。父の家は僕の家でもある。そこを土足で踏み荒らされたような気がして、少し嫌な気分になった。だから僕だけは靴を脱いで上がった。
メリッ……。
足が沈むのがわかった。そして濡れたような感触が靴下を通じて足の裏に伝わる。
「あーあ、だから言ったのに」
既に畳は腐り、何かで濡れている。湿り気の正体が何であるかはわからない。しかし確かに濡れている。
それでも我慢して僕は奥へと進んだ。
部屋の中は一面に下着類や洋服が散乱していた。食べたまま丼などもあるようだ。
「単身の割には荷物が多いんだよな」
室伏さんがぼやくように呟いた。重いタンスを澤井さんと一緒にトラックへと運んでいる。以前は母の洋服などが入っていたタンスだ。
母は「あの家に置いてきた物に未練はない」といつか言っていたが、果たして本心だろうか。昨日の母の様子を見ていると、少し不安になってきた。
僕は本棚に目をやる。そこには池波正太郎や藤沢周平などの時代小説がぎっしりと詰め込まれていた。週刊誌の類いは一切見当たらない。