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僕が許した父

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「でもね、長太郎さんは最後の方はかなり弱っていたのよ。お風呂に入るにも、トイレに入るにもかなり辛そうでした。本当はもっと援助できればよかったんでしょうけど、要支援2では限界があったのよ」
 阿部さんが涙ぐんだ声で言った。
「要支援2?」
「介護保険の基準ですよ。その人の介護度を定めた基準でサービスの量が決まっているんです」
 代わって答えてくれたのは澤井さんだった。僕には福祉の制度がどうなっているのかよくはわからない。ただ父にそれほど手厚い介護はなされていなかったようだ。
「それでは、そろそろお別れです」
 葬儀屋さんのその言葉で、父の棺が閉じられた。
 重々しい音を立てて釜の蓋が開く。自動扉だが、何せ人を焼く釜だ。その音はたとえ、あんな父を焼く釜とはいえ重い。
 僕は合掌して父を見送った。

 父を火葬している間、僕たちは待合室で待つことになった。
 阿部さんが気を利かしてお茶を淹れてくれた。啜ってみると、製鉄所のお茶と大差のない味だ。いや、この時、僕の味覚は麻痺していたかもしれない。
「これね、長太郎さんが最後に握り締めていた写真よ」
 阿部さんがそう言って差し出したのは、一枚の写真だった。僕が小学校六年生の時、湯河原の万葉公園で撮った家族の写真だ。確か通りがかりの人にシャッターを押してもらった記憶がある。僕はわざと大きな口を開け、おどけた顔をしている。父は真面目そうな顔でカメラを見つめ、母はにっこりと笑いながら僕の肩に手を置いている。それはカラー写真だが、既に色あせてセピア色に近い。
「これを父が握り締めていたんですか?」
「長太郎さんはね、奥様のことは諦めていたみたい。でも、あなたのことだけは諦めきれなかったようで、いつも光治、光治って取り憑かれたように呟いていたわ。よっぽど悔いが残っていたのね」
「でも、何で笑っていたのかな?」
「最後にその写真を眺めたからじゃないかしら」
 写真ひとつで笑って死ねるだろうかと、僕は疑問に思った。
「心不全っていうのは、いわゆる心臓麻痺なんですよ。そいつは相当に苦しいらしいんです。それでも安らかな顔で眠りについたというのは、やはりその写真のお陰なんじゃないですかねえ」
 澤井さんがしみじみと言った。
作品名:僕が許した父 作家名:栗原 峰幸