哀恋草 第七章 人質
「のう、義経殿。おぬしの身の上はこのわしが保証する。もちろん共の者も同じじゃ。しかし、何も無しでは疑いが晴れぬ。人質というか、そちたちの隠れ蓑にするために妾を捕らえたという事にして、この場をしのごう・・・志乃という、ての者から聞き及んでいる、そこもとの妻久殿の娘、光殿とやらを差し出してくれまいか?身の安全はこの身に変えても保証するゆえ」
義経はしばらく考えていた。そして、出来ぬ相談だと答えた。
「そうであろうのう・・・わしもそなたの立場なら断るであろう。しかし、今はお互いに天下を動かそうとしている時。微塵も策略が知れてはならぬゆえ、景時や鎌倉の矛先をどうしてもそらさねばならぬ理由が欲しいのじゃ。聞けば光殿は絶世の美女とやら。鎌倉の関心はきっとそちらに向き、そこもと達は逃げ伸びた・・・と目先を奥州へと向けるであろう。奥州の秀衡どのは出来たお方。鎌倉の探索に知らぬ存ぜぬを通されるであろう」
「時政殿、光殿はまだ十六歳の娘。安全とはいえ人質にされる事は耐え難い心痛を与える事になるやも知れぬ。私から久殿にお願いできる筋合いのことではござらぬ」
話し合いはもつれた。何度も懇願する時政はやがて痺れが切れたのであろうか、大きくため息をつき、
「千載一隅のチャンスを・・・逃すのか、残念じゃ。わしの命と引き換えにこの屋敷もろとも焼き尽くす所存になり申した。お覚悟召されよ!」
時政はぬっと立って、腰から剣を抜いた。奥の部屋でこの話を聞いていた久は、走り出て時政の前で頭を下げた。
「久と申しまする。こたびのお話、娘に申し伝えまするゆえ、お怒りを静めてくだされ・・・ませ」
「うむ、そこ元が久殿か・・・よう申した!さすが義経が妻、この期に及んで見事な助っ人じゃ、アハハ・・・のう、九郎どの、妻とはこうあるべきじゃのう?」
義経には、久の考えが痛いほど分かった。そして、その事は自分への好意ではなく、鎌倉への憎悪であることも理解できた。武家の女として何が大儀なのか理解していた。久は娘に危険が及ばぬように、自分も傍に仕えたいと申し出た。時政は理解を示し、傍にいるようにする約束をした。
やがて時政の軍勢は別邸を離れ、久と小紫、作蔵を残して義経、影光を同行させ、安全な後白河の本邸に匿われるように手配した。その日のうちに作蔵と久は弥生を見張りで同行させられ光の待っている自宅へと道を急いだ。京に戻ってきた景時は守護職の屋敷に向かい、吉野での出来事を話した。
「時政どの、いかが考えられるか?その女子の姿を見知ったものを連れてまいったゆえ、ここに留め置くよう願いまする」
「景時どの、話は良く分かり申した。一蔵と申すもの者、この屋敷に留め置くこと叶えましょう」
「かたじけない。では、わしはこれから宇治側沿いに信楽へと探索をして参るゆえ、後のことをよしなにお願いする」
景時はそう言って、そそくさと屋敷を後にした。隣の間に控えていた一蔵に時政は、職務として一通りの質問をした。話の内容からそれとなくそれは志乃であろうことが、想像できた。二人が顔を合わさないように気配りして部屋を与え、しばらく休息するように伝えた。一蔵は翌日から屋敷内や外をくまなく出歩き、志乃の姿を見つけようと懸命になっていた。加茂川沿いの河原にはたくさんの乞食がいた。一人ひとり見なかったか聞き歩いたりもした。京の都は吉野とちがいあまりに人通りが多く、街も広いので探し出すことは不可能だと諦めかけていた。
京を出て翌日には久たちは家に戻ってきた。大きな声で帰宅を知らせると、光とみよが笑顔で飛び出してきた。
「お帰りなさいませ。早ようございましたなあ、これは見知らぬお方もご一緒・・・失礼をば致しました。さあお上がり召されませ」
「かたじけのうござります」
弥生は光に案内されて中へと入っていった。大きく人生が変わって行く初めての日になってゆく事を光はまだ知らなかった。
一蔵はこの日も街中を捜し歩いていた。一日中歩き回った疲れからかうとうとしながら夕刻に時政邸に帰りかけていたのだが、どうやら道を間違えてしまったらしい。東山法住寺に住まいを移していた後白河法皇の住まい、法住寺殿の辺りに来てしまった。道を尋ねようと辺りを見回すと、一人の物売りらしき男に出会い、声をかけた。
「土地に不慣れで困っております。守護職様の屋敷はどの辺りになるのでしょうか、ご存知でしたらお教え願いたい」
男は、じっと一蔵の顔を見ていた。どこかで会った事があるような、そんな気がしてならなかった。
「はい、ここの坂を下りて、道が右手に折れるところをそのまま進んで・・・」と道案内をした。話しながら、男は目の前が誰なのかはっきりと思い出していた。一通り話した後、質問した。
「お名前はなんと申されます?私は飴売りをしている勝・・・いや勝太郎と申します」
「これは失礼をばしました。吉野から参った一蔵と申す商人でござる」
「一蔵・・・さまで、ここでのご縁も天のお導きと察しまする。後日ご都合示し合わせて、お話がしとうございまするが、いかがでございましょうか?」
「これはありがたきお言葉、私も尋ねたい儀がござったゆえ好都合でございます。是非に願いまする」
二人は翌日の待ち合わせを決めて、それぞれ別れた。運命の歯車はこんな場所でもゆっくりと回り始めていた。
久と作蔵は連れてきた弥生を紹介した。光とみよにはうそは通じないから、はじめから正直に話した。
「弥生殿は時政様の家臣でおられる。義経様と影光どのは身柄を拘束され、東山の後白河邸にいまは匿われておられる。時政様がお二人を奥州へ逃がす手立てを助けてくださることになった。しかし、鎌倉からの注意をそらすために、人質として義経殿の愛妾を捕らえて一時景時や京の民の関心を誘う役目を久殿に持ちかけられた。簡単に申すと、愛妾の役目を光、そなたに頼みたいということじゃ・・・」
「なんと申されました?私が義経様の愛妾となるのですか?」
「・・・そうじゃ、でもこれは本当ではなく偽装じゃ、久殿もそばについておるゆえ万が一にも恥じるようなことは、ござらぬ」
弥生は優しい目で光に向かって話した。
「光殿、初めてお会いしますが、うわさどおりの見目麗しきお方・・・京で探しても見当たらぬほどですよ。まずはこのたびの密命、他言無用に願いまする。そなた様のそばには久殿が必ずお供いたしまするゆえ、ご安心なされませ。時政殿は義経様を恃みにしておられるゆえ、そなた様や久殿に危害を加えるようなことはござりません。しかし守護職が屋敷内では捕虜の扱い、しばしおつらい言葉や視線を浴びせられましょうが、我慢して下されませ。この弥生がお側におりまするゆえ、指一本たりとも触れさせることはさせませぬ」
光は急に何を聞かされるのかと不安になっていたが、事態は自分が断ることの出来ない状況になっていることを悟り、久と一緒ならお供する、と答えた。みよは光のことが心配になり、自分も傍に居たいと申し出た。一人作蔵とここに残ることが耐えられない悲しみになるだろうことも分かっていたからだ。何度も懇願した。
作品名:哀恋草 第七章 人質 作家名:てっしゅう