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てっしゅう
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哀恋草 第七章 人質

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「景時さま、私めは良く覚えておりまする!今から私を一行に加えて戴ければ、その女を探し正体を暴くお手伝いをしとうございます、なにとぞお許しを・・・下さいませ」

一蔵は迫真の演技で景時の足元にすがりついた。困った様子を見せながらも、景時もその女のことが気になっていた。村人を集めさせ、一通り検分した上で、一蔵を引き連れて一旦平城に戻ることにした。吉野の平和は守られた。しかし、藤江という尊い犠牲が払われた事は予想外の出来事であった。月のない真っ暗な夜に、村人と一蔵家の全てが悲しみに臥していた。どこからともなく聞こえるかすかな笛の音は悲しみを知るがごとく追悼の響きとなって村中に響いていた。

光は暗闇の中で京にいる久と、作蔵の道中を案じて笛を吹いていた。みよが傍で聴いている。いつになく物悲しいその響きはみよの涙を誘い、笛の音色はより一層哀愁を帯びていった。

家を出てまる一日歩き通して、作蔵は宇治から京に入った。後白河邸の門をたたき、見知った門番に目通りを伝えた。作蔵は一蔵の使いで何度もこの屋敷に炭を納入していた。門番とも顔見知りになっていたのだ。やがて、中に通され、中庭で待つように指示された。後白河は時政に院宣を与えたことを後悔し、また別邸の義経が命を案ずる気持ちが強くなり、誰とも会わなくなっていた。使いのものがやがて法皇の元へと書状を持って行った。半時ほど経って、法皇から作蔵に下賜された書状には、感謝の気持ちと合わせて、別邸の小紫に宛てた紹介状も添えられていた。

急ぎ久のいる別邸に小紫を訪ねた。この別邸には弥生が出入りするものを見張っていた。作蔵が中へ入ったことを確認して急ぎ時政に伝えるべく走り去った。時間との戦いになってきた別邸周辺では、行き交う人もなく静かな佇まいを呈していたが、弥生の知らせに時政は側近の手下数人を引き連れ速やかに動いた。景時が留守の間に考えていた策略を実行に移すためだ。

小紫(後白河の妾)は作蔵と久、義経、影光を引き合わせた。
「作蔵殿!急にどうされたのでござりますか?」久は声をかけた。
「院にはお知らせ申し上げたが、光とみよがなにやら不穏な動きがここに及ぶと申して、そのことを伝えにまいったのじゃ。なにやら突然の女子の来訪もあって、気になる様子じゃったので」
「そうでござったか、かたじけのうござる。影光、久どの、ここは一旦山里へ退いてはいかがかのう?」
「しかしもう見張られておるやも知れませぬぞ・・・久に考えがござります」
「なんと申すか?名案があると申すのか?」

頷いた久は、小声でその秘策を話した。


久の妙案とはこのようなものだった。
自分の衣装を義経に着せて、小紫と一緒に残り、義経の装束で自分は裏庭から山手に逃げる。時政の軍勢が押し入ってきた時に、裏山に逃れたことを話せば彼らはあとを追うはず。手薄になったところで、義経が小紫から離れ、そっと逃げ出す。影光が警護して大津から琵琶湖沿いに北上して北陸道を奥州に向かう、という考えであった。

作蔵はそれでは久が捕らえられた時に危険が生ずると反対した。義経も危険すぎると反対した。それより自分と影光とで今すぐ裏山に逃げ込み、かく乱して何とか逃げ失せることの方が望みが高いと久に言った。久とそれぞれの考えがまとまらずに時間が過ぎていった。焦りの気持から、影光は義経に支度をして裏から逃げることを促した。

「殿!もう猶予はなりませぬぞ。ご判断を・・・」
「うむ、久どの悪いがそなたに危険が及ぶゆえ、我らは二人で旅立つゆえ、許されよ。今までの恩は義経生涯忘れぬぞ・・・この通りじゃ」
久の正面に身を寄せ、頭を深く下げた。

「義経様・・・勿体のうございます。久は至らぬ女子でござりました。奥州ではなにとぞご無事な暮らしをなされますようお祈り申してございまする」義経と影光が席を立ったとき、一本の弓矢が障子を突き破って畳に突き刺さった。囲まれたか!一同は不安に身を震わせた。しかし、誰も入ってくる様子もなく、しかもその弓矢には印が結び付けられていた。義経は弓からはずし手紙を読んだ。
それには声にならないほど驚くべきことが書かれてあった。

景時の軍勢は平城から生駒を越え河内の国茨田(まった)郡枚方村(現在は枚方市)から丹波、伏見、七条と洛内に入った。先のこの街道を走り、志乃は時政邸に着いていた。弥生が志乃の情報どおりに後白河の別邸を見張っていて、動きを見つけ今時政の軍勢はその屋敷の周りを取り囲んでいた。

屋敷内では矢文の検分が行なわれていた。
「影光はいかが思うぞ?時政殿の所存」
「はい、この期に及びましては従うほかござりませぬ・・・久殿と作蔵殿、小紫殿は奥に隠れて気付かれぬようになされませ」

時政からの矢文には、命は安堵するゆえ、時政と二人で話したいと書かれてあった。周りを囲まれている事は二人には分かっていた。多勢に少数では勝ち目はない。ひとまず話を聴こうと義経は時政の指示通り、玄関を開放した。小紫が人質となり、玄関から出て行った。時政はすれ違う形で玄関から中へと入ってゆく。義経とは見知った仲、挨拶を交わして居間へ上がった。

「これは九郎どの、お久しぶりじゃのう。時政、約束どおり一人で参ったゆえ、お主も人払いを・・・良かろうのう?」
「これは時政殿、久しゅうござる。約束どおりにいたそう」そういって、影光を下がらせた。
時政は鎌倉の様子を少し話、やがて用件を話し始めた。

「これから申すことは、天地がひっくり返るほどの内密ゆえ、心して聞かれよ」
「義経、しかと心得ました」

「鎌倉殿の舅であるわしをないがしろにする景時めをどうしても許せぬ・・・して、景時を贔屓する鎌倉殿も気に食わぬ思いじゃ。そのことでは、お主と相通ずるであろうのう。京の文官もそちには贔屓をしておるし、後白河様は匿うほど親密じゃ・・・のう?義経殿」
「であろうかのう・・・して本心は何事をお望みか?」
「今鎌倉に反旗を翻しその意志に味方する豪族を引き連れて攻め入ることが出来る唯一のお方が、そなたじゃ!わしの話す意味が分かろうか?」
「・・・時政どのは、謀反をお望みなのでござるのか?なら、何故でござる?」
「義経殿、鎌倉は有力豪族が集まりのまとまりのないところでござる。こたびの失態で景時は手柄を焦り傍若無人な振る舞いに出るやも知れぬ。鎌倉が手薄になるところにわしが京を離れ、伊豆から鎌倉を囲むように手配し、そこもとが平泉の手勢を率いて攻め入れば、難なく落ちると踏んでおるが、この話聞き捨てに出来ぬ話であろうが・・・」

なんと、北条時政は、義経の手を借りて頼朝を失脚させ、あわよくば天下盗りを狙っていたなどと、夢にも思っていなかった義経であった。この話がまことなら、義経にとってはまたとない機会になる、そう考えた。当面の庇護を申し出た時政ではあったが、1つ条件を出してきた。それは、鎌倉へのカモフラージュと、景時への体裁のためにやることだった。