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月の彼方に

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窮屈な学校を終え、春馬はかけ足で家に帰った。
玄関を開けて家に入っても、春馬は「ただいま」なんて言わない。
だって答えてくれる人は誰もいないんだから。
春馬は自分の部屋に鞄を放り出すとそのまま家から飛び出した。
またあの音色が聞ける……!また美帆に会える……!そう考えるだけで足取りは自然と弾んだ。
こんなに楽しい気持ちで平原を訪れたのは初めてではないだろうか。
平原に入った春馬は、昨日美帆が腰かけていたあの木を目指した。
この平原に、木は何本も生えているけれど、不思議なことに春馬はすぐにその木を見つけることが出来た。
その根元には昨日の様に美帆が腰かけている。
彼女は春馬に気付くとニコリとほほ笑んだ。
春馬も同じようにして笑い返した。
春馬が美帆の方に歩いていくと、それを合図にしたかのように美帆が演奏を始めた。
それは昨日聞いたあの美しい旋律だった。
春馬はあの夢と同じように、美帆の隣に腰掛ける。
そして黙って美帆の演奏に耳を傾けた。
目を閉じれば、そこには別世界が広がっている様な錯覚を覚える。
やがて美帆が演奏を終えた。
「どうだった?昨日みたいに楽しんでもらえた?」
にこやかに笑いながら美帆が訊く。
春馬の答えなら、聞かずとも分かる。
「うん。とっても良かったよ。やっぱり美帆は天才だ」
「あら、そう?」
言いながらも、美帆はまんざらでもない様子だ。
「この曲はね、『月の彼方に』っていう曲なの。お月さまに奉げる曲よ」
「お月さまに?」
「ええ、そう。私の家では代々この曲が受け継がれてるのよ。お月見の夜に、お月さまに今までの感謝を込めてこの曲を贈るの。また来年も私たちに灯りをくださいって」
「へぇ……」
春馬は今までそんなこと考えたこともなかった。
ただ月が自分たちを照らしてくれるのが当たり前だと思っていた。
でも考えてみれば確かにそうだ。
お月さまは当たり前の様に毎夜人々を照らしているけれど、それはただ照らしているんじゃない。“照らしてくれている”のだ。
だから人々は月に感謝しなければならない。
『明るい灯りをくれてありがとう』と。
「お月見は二日後でしょ?だからね、私、曲の練習してたんだ」
ああ、なるほどそういうことか。と春馬は納得する。
美帆は、演奏の練習をするために、昨日、この平原で笛を吹いていたのだ。
「それじゃあ二日後のお月見の夜、君はここで笛を演奏するの?」
春馬の言葉に美帆は嬉しそうに笑った。
自分がお月さまにこの曲を贈れるのがうれしくてたまらないみたいだ。
「うん、もちろん。良かったらあなたも来る?」
その言葉を聞いて、春馬は嬉しくてたまらなかった。
間髪入れずに彼は答える。
「うん、絶対に行くよ!」
くすくすっ、と美帆が嬉しそうに笑った。
「ありがとう。絶対に約束よ?あなたがいてくれた方が私も楽しいから」
「ありがとう。僕も美帆といる方が楽しいよ」
そう言って二人は笑い合った。
作品名:月の彼方に 作家名:逢坂愛発