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茶房 クロッカス その2

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 ランチタイムの後も、また薫ちゃんと、朝の続きのたわいない雑談をしていると、いつの間にか午後の四時が近くなった。
 この所ほとんど毎日のように、決まって夕方の四時頃に店に来る、一人の男性がいる。
 年の頃は五十代後半か? 何をしている人なのか分からないが、勤め人でないことは確かだ。それと言うのも、いつも無精髭が伸びているからだが……。
 店に来ても何をするわけでもなく、アメリカンコーヒーを一杯だけ飲むと、ものも言わず代金だけ払うとすぅーっと帰って行く。まるで影のない人のようだ。
 彼は決まってボックス席に座り、透明な壁越しに外をじっと見つめ、思い出したようにコーヒーをすする。
 もしかしたら誰かを待っているのだろうか?
 そんなことを考えていると、やっぱり今日もやって来た。
 カラ~ン コロ~ン
「いらっしゃ~い」
 俺と薫ちゃんが声を合わせたように言うと、彼は目だけで軽く挨拶を返し、いつもの席に迷わず進んで腰を下ろした。
「今日もアメリカンでいいんですか?」
 と、薫ちゃんがにっこり笑顔で尋ねると、彼は頭を前に僅かだけ傾げて頷いた。そしていつものように外に視線を流した。
 俺は彼のことが気になって仕方ないのだが、何せひと言も言葉を発しないから、どう接したら良いものか……。
 コーヒーが出来上がってふと見ると、薫ちゃんが見当たらない。
《どこへ行ったんだ?  あ、トイレかぁ?》
 いつもなら、薫ちゃんが持って行くんだが、仕方がないので俺が持って行くことにした。
 テーブルのそばに行って「お待たせ~」と言って、コーヒーをテーブルに置こうとした時、突然その人が声を発した。
「マスター、この世はなんて無常なんでしょう」 
 と、まるで独り言でも言うように外を見たままで彼は言った。
「えぇっ?!……無常??」
「――無常って?」
 彼は相変わらず外を見たままで何も言わない。
《なぜいきなりそんなことを言ったのだろう?》
 少し考えた後、おもむろに言葉を選んで喋ってみた。
「俺は元々、どっちかって言うと楽天的な性格なんで、そういう難しいことは考えたことがないんですが……どうかしたんですか?」 
 ようやく彼はこちらを向いてこう言った。
「私の命は、もう終わりが見えているんですよ」
「えぇっ……?」
「人間いざ死ぬと分ると、何をする気にもなれないし、刻まれる時をただ見つめているだけなんですよ……」
「――私はここで、駅前の人の流れを見るにつけ、これが人生の流れなのかも知れないと思ったりするんです。もう今では、敢えて生きたいとかいう気持ちもなくなって、運命に身を任せようと……、一種の悟りの境地なのかもしれません……」
「………」
「――マスターはそんなことを考えたことはありませんか?」
 俺はその人が、ひと言ひと言を考えながら喋るのを聞き、俺も真面目に答えた。
「うーん、俺はさっきも言ったように、そんなことを考えたことはないんだけど、今思えば、亡くなった親父がこんなことを言ってましたよ。――人間は生まれた時から修行が始まるんだ。そしてその修行を終えた時に初めて死を迎えるんだ。死は終わりではなく本当の意味での始まりなんだよ。と――。あなたがそんな質問をしなければ、俺はこの言葉を思い出すことすらなかったかもしれないけど……どう思いますか?」
「うーん、深い言葉なのかもしれませんねぇ。私はもう終わるんだと思って、最初の頃は悲しくって、辛くて淋しくて……。でもこれも運命なのだからと、この頃ようやく静かな気持ちで時間を送ることができるようになったのです。でも、もし本当に終わりではないのなら……、私は、何をどうすればいいんでしょう。私は不治の病で、もう決して元気にはなれないのですが……。私はまだ、修行とやらをしなくてはならないのでしょうか?」
「親父はこうも言ってました。――人間は完全に死ぬその時まで、ギリギリのその時までが修行なんだと……。俺にも真偽はわかりませんがねぇ」
「そうですか、ギリギリまでですか……」
「あっ、もう一つ、――人は生きているんじゃない、生かされているんだ。と」
「そうですか?……」 
 そう言うと、その人はゆっくりとアメリカンを口に運んだ。
 そして、またガラス越しに外へと目をやった。
 俺は静かにカウンターの中へ戻り、同時になぜだか、重いものを背負ったような気がした。
《それにしても、どうしたんだろう。急に親父の言葉を思い出すなんて……》
 しばらくその人は、外を眺めながら思い出したようにコーヒーを飲み、そして帰って行った。
 帰りがけに「明日も来てもいいでしょうか?」とひと言尋ねた。
 俺はもちろん「どうぞ、いつでもお越し下さい」と答えた。