「哀恋草」 第二章 逃避行
離れようとしないみよに久は、立ち上がって湯船を出ようとした。みよも立ち上がった。背丈は同じぐらいでも久はふっくらと色白で艶かしい体つき、みよはすらりとした硬い体つき。姉妹とは感じ得ない外観ではあったが、その想いは短い時間の割には強くなっていた。みよは先に着替える場所に行き、乾いたもう一つの手ぬぐいを久に渡し、背中を拭いて、と乞うた。立ったままで拭いているとその手ぬぐいを手に受け取って、みよは久の背中を拭いた。初めての行為に久は戸惑ったが、嬉しくも感じた。もう本当の姉妹のように振舞っている二人に見えた。
長い湯浴みを終えて二人は隣同士で寝床を取って眠りについた。飲みすぎたのと長湯で二人とも荒い寝息を立ててすぐに眠ってしまった。
野鳥の声がして辺りが薄明るくなってくる頃にみよは目覚め、久を起こさないようにそっと寝所を出て、朝餉の支度にかかった。この頃の食事は一日二度、朝昼兼用と夕方申の刻(午後4時ごろ)に採るのが普通だった。炭焼きをしているみよの家では釜の様子を見に夜も何度か足を運ぶ習慣があって、食事は日に三度採っていた。今日は釜が冷めているから、炭を出して運ばなければいけないので、朝早くにお腹に入れて、昼前に戻り食事を採るようになる。
簡単に粥を口に入れてみよは、久に書置きをして釜に出かけた。久が目覚めたのは光が起こしに来た時で、辰の刻(8時ごろ)を廻っていた。
「久殿、お目覚め下され。もう日が高こうござりまするぞ」
光の声に目が覚めた。
「ほんに寝すぎてしまいました。おみよさん・・・みよ殿は?どうされていますか?」
「はい、枕元にこんな書置きがございました」
手にとって久はそれを読んだ。
「光殿、私たちも早々にみよ殿が用意していただいた粥を食べて、釜にお手伝いしに行きましょう。ささ、台所へ参りましょう」
かまどは小さい火加減にしてあり粥は熱く煮えていた。久と光はありがたく頂き、奥の母様にお手伝いの旨を伝えて、支度にかかり、玄関を出て行った。
釜から連れてこられた記憶をたどって逆に歩いて街道に出て、坂を上ると炭焼き釜が見えてきた。みよは釜の中から出した炭を適当な大きさに割り、縄で編んだかごに詰める作業に追われていた。
「おみよさん、寝すぎてしまいました。急ぎお手伝いに参りましたゆえ、光ともども仕事を言いつけてくださいまし」
「これは、姉上と光さん、気付くのが遅れました。お二人はお客人ですからどうぞ母屋でごゆっくりなさいませ。お気遣いは嬉しゅうございますが、父に怒られますゆえ、なにとぞお帰り下さいまし」
久は、非常にしつけが行き届いている親子と見て、感じ入った。わが身を振り返らねば、恥ずかしいとさえ思った。
「おみよさん、久と光は客人ではござりませぬぞ。お叱りを受けるは私どもの方でございます。ご遠慮は無用、せめて納戸に運ぶお手伝いでもさせてくだされ。光もよいのう?」
「はい、母上・・・何事も仰せのままにいたしまする」
みよは、光の方を見やってすっと立ち上がり、傍に近寄った。じっと見つめて、
「ほんに姉上と良く似てらっしゃる!色も白く、凛々しくて綺麗なこと!そうだわ、みよはねお願いして、久殿を姉上と呼ばせていただいているの!いいでしょ?光さん、そうねおみっちゃんでもいいかしら?ホホホ・・・」少し困惑気味に見ていた光であったが、久の顔も伺って返事をした。
「おみよ殿、おみっちゃんで嬉しゅうございます。ねえ、母上?」
久は大きく微笑みながら頷いた。
未の刻(午前10時ごろ)が過ぎて半分ぐらいの炭が適当に割られて縄かごに10俵ほど詰められた。一かごで5貫目程の重さになっている。女一人では少々重く感じられる目方だが、みよは細い身体に似合わず、俵を荷車にすいすいと運んだ。久はまだしも、光は両方の手で抱きかかえ、ふうふう言いながら運んでいた。最後の一つを積み終えて、三人は顔を見合わせて笑顔になっていた。
「朝の仕事はこれまでです。かえってゆっくりしましょう」
みよは荷車の手を力をこめて押し下げ、自分の腹につけた。久と光は後方より、押すようにしてみよを助けながら街道まで出て、今度は下り坂なので、逆に落ちないように引き寄せながら、ゆっくりと進んでいった。母屋に戻ってきて、手と顔をすすぎ、居間に三人で座った。
囲炉裏の火に餅を焼きながら、軽く昼餉の代わりに食べようとみよは言った。久と光はそのような習慣がなかったが、勧められるように餅を戴くことにした。力仕事を済ませたためか、小腹が空いていた久と光は味のない餅でも口の中に甘みを感じるぐらい美味しく食べた。
「母上、おいしゅうございます。光は毎日でもよろしゅうございまするよ!」
「何という事を!恥ずかしい・・・おみよさん、許してくだされ」
「いいえ、みよは嬉しいですよ。おみっちゃんに気に入ってもらえて。毎日好きなだけ食べていいのですよ。姉上も怒らないであげてください」
三人は笑いながら、和やかにそのときを過ごした。午の刻が過ぎて、再びみよは釜に出かけた。久と光は、近場を散策して、山菜採りをした。この時代野草すら貴重な食べ物だったのだ。
辺りが暗くなりかけた頃、久と光は、山から戻り、かご一杯の山菜を持ち帰ってきた。先に戻って夕餉の支度をしていたみよはそれを見て、
「たくさん採れましたね。姉上がそのように山菜が採れる場所を見つけられたなんて、驚きですわ。何もかも私なんかより・・・」そう言いかけて、やめた。
「おみよさん、私も山の中で長年生きてきました。このぐらいの智恵がのうては、飢えてしまいまする。光も同じように見つけることが出来るのですよ」
「・・・そうでしたか、みよは心強うなりました。早速頂きましょう!えっと、見せてください。ウドと・・・たらの芽と、・・・わらびですね!よもぎ、せり・・・みょうがもありましたか!なんとたくさん・・・」
「私が料理いたしましょう。今宵はたらの芽を茹でて、せりとよもぎは粥に混ぜ、みょうがはさらしてたらの芽と一緒に頂きましょう。今宵は華やかゆえ、また一献傾けましょうぞ、姉上」
久は、みよが喜んでくれている事が嬉しかった。光もみよが久を姉上と慕うように、自分もみよを姉上と慕いたく思った。夕餉が済んで、昨日とは違い、みよは光を湯殿に誘った。他人と入ることがなかった光は少しためらったが、手を引かれてそのままに、湯殿に向かっていった。先ほど持ち帰った炭火は、薪などと比べ物にならないほど強く、長く火力を保っていた。
この頃の風呂はもちろん五右衛門風呂である。巨大な石釜を下から火であぶり、中の湯を沸かすのだ。そのままだと釜が熱くて入れないから、すのこを中に入れてその上に乗るのだ。火を止めないと、うっかり淵に触るとやけどする。釜の外側には決して触れてはいけないのだ。
ヒノキ作りの湯殿は、父作蔵のお気に入りで作ったこの辺りでは見られないぜいたく品だ。炭と灰と汗にまみれた身体を湯でほぐすのが作蔵の楽しみでもあった。人気のない山奥で暮らす作蔵には、この湯殿と、炭作りが生き甲斐であった。そして、養女とはいえ娘のように可愛がっているみよの存在も、それにもまして生き甲斐となっていた。
作品名:「哀恋草」 第二章 逃避行 作家名:てっしゅう