日出づる国 続編
自然崇拝と仏教
倭国は、各地豪族の連合王国であり、それぞれの王が大和に集まり、統一国家を目指していた。それら王をまとめる最高位に、百済系の蘇我氏があり、豊御食炊屋姫は蘇我馬子の姪で、祭祀を司っていた。
天皇という言葉ができたのは大化の改新以降である。
軍事・財政は各地の豪族がになっていた。
百済・新羅・高句麗からの渡来人が、多くの技術や文化を各地にもたらし、同時に権力も持つようになっていたのである。
飛鳥周辺は渡来人が多く、文明開化が最も進んだ地域だった。
表向きの政は、豊御食炊屋姫の甥、厩戸皇子が摂政となって行っていた。
官位を12階に分類し、17条からなる憲法を制定した。
それらには、仏教思想がそのまま取り入れられている。
新しい先進文化である仏教はきらびやかで、若い支配者たちを魅了していた。
仏教は人心をひとつにすることができた。
それにより、生きることに前向きになり、つまりは生活が向上し、活気づくことともなった。
ただし新しい法律は平民までのことで、奴婢は人間とみなされていなかったので、対象外である。
崇仏派の蘇我馬子は、遠出の際に出会った嘉香に懸相していた。
排仏派の物部氏を滅した時、物部派で矢作り集団である矢田村を捜しまわったが嘉香は見つからず、嘉香の顔を描かせて村々や関に配していた。
馬子は密かに、嘉香の元に通っていたが、いつも何らかの理由で断られていた。
馬子は、自分は他の男性よりも優れており、狙いを付けた女性は必ず自分になびくと信じ込んでいる自惚れの強い男であり、それは聡明で勝気な女性が一番嫌がるタイプである。
厚顔無恥な男は婉曲に拒否されても、嫌がられていることが分からない。嫌がっている振りをしているのだ、と都合よく解釈し、女に迫る。
嘉香はすでに身ごもっていた頃のことである。
嘉香は自分の顔絵が出回っているのを知っていた。
古くから付き合いのある中村の集落の住まいで、村人たちの団結に守られ陽を生み、育ててきた。
もし通報されたら、馬子の女になるか奴婢となるか。
東国に行くことにためらいはない。新しい生き方を自分に課してみたかった。
また、はやりの仏教は、権力者を守るためのものだということに気付いていた。
命を絶たれる者の怒りを鎮め、崇りを防ぐためにある。
そこにある祈りの深層は『恐怖』である。
嘉香は夢兎と出会って知った。
獣肉を食す蝦夷を野蛮人と大和の民は蔑むが、自分には蝦夷の血が流れていた。いや、いつの頃のことかは分からない。はるか昔のことであろう。
しかし、かか者から密かに受け継いできた祈りの深層は『感謝』。
草木を含め命に手をかける前に許しを乞い、命を譲り受けたことに感謝を捧げ、神の国へ厳かに送ることを忘れない。
それは蝦夷の神髄なのではないか。