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それぞれの季節

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ある冬の昼下がり たばこの煙に埋もれて



―― この曲、なんていう曲だっけ。

暖を求めて喫茶店の自動扉をくぐった途端に耳に飛び込んできた音楽。

―― そう、懐かしい曲だ。

快い耳への感触を楽しみながら、窓際のいつもの席に腰を下ろす。
水の入ったグラスを持って来たウェイトレスに
「アメリカン一つ。うーんと熱くしてね。」
と、コートから腕を抜きつつ、軽くにこやかに注文した。
そして、コートのポケットからたばこを取り出すと、手をこすり合わせながら慌ただしくマッチに手を伸ばす。

―― フーッ、うまい。
―― あー、それにしても心を休め、体を寛がせるべきサテンで堅苦しい本は開けたくないなぁ。
―― でも明日のフランス語は順番が回って来るはずだ。
―― この辺りの訳は皆目見当がつかない。
―― うーん、わからないものはいくら考えても無駄だ。

「はい、お待ちどうさま。」
明るい声にハッとさせられた僕は、テーブルの上に散らかしたフランス語の本と辞書を隅に寄せ、カップを抱きかかえるようにして口に運んだ。

―― わかったぞ、この曲。
―― 思い出した。
―― ビートルズの「恋に落ちたら」だ。

僕は開きかけたフランス語の本をパタンと閉じると、窮屈そうに足を組んだ。
天井からぶら下がっている古風なランプに、やや焦点をぼかしつつ目をやる。

―― ビートルズ。
―― ずいぶんと古い想い出になってしまったなぁ。
―― あれは60年代のハプニングだった。
―― 実際に彼らが活躍していたとき、僕は何をしていたのかなぁ。
―― 小学生? うん、初恋に胸を焦がしていたときかも。
―― そう言えば、最近恋をしてないなぁ。
―― 何か醒めてしまうところがあるんだよなぁ。
―― 夢中になることはある、いや、なれるんだけど、自然とそれが萎んでいってしまう。
―― 本当に深くのめり込むような恋を、またそれを受け止めてくれる人が欲しいなぁ。
―― いつも僕の恋は、時が攫って行ってしまうみたいだなぁ。
―― そして、その度毎にやるせない虚脱感だけが胸の奥底に残る・・・
―― そうすると尚更次の恋をしようとするとき、それが新たな熱情に水を差す。
―― 僕はもう本当の恋ができなくなっちゃったのかなぁ。
―― でも、そうやって人って、人間的に大きくなって行くのかなぁ。
―― あー、わかんねえや。


僕はたばこの煙をくゆらせながら、コーヒーを飲み干した。
「人は成長するたびに何かを失わなければならないんだってね。」
と、喫茶店に誘ったとき、彼女が爽やかに笑って口にした言葉が印象的だ。
僕は閉じていた目を開き、彼女の顔を打ち消すと、たばこを灰皿でもみ消した。
そして伝票を持ってゆっくりと立ち上がると、レジに向かって歩き出した。

「あー、今日も寒さが身に沁みるなぁ。恋に落ちたら・・・・か。心配することも無いよな。ハハハ・・・明日もフランス語さぼるかー。」

作品名:それぞれの季節 作家名:sirius2014